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東京メトロ6000系

とうきょうめとろろくせんけい

帝都高速度交通営団→東京メトロが2018年(平成30年)まで運用していた通勤型電車。
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概要編集

電機子チョッパ制御の性能を確認するため、1968年昭和43年)に試作車が製造されたのが始まり。後に量産車が帝都高速度交通営団営団地下鉄、現・東京メトロ千代田線向けに導入されている。

量産車の営業運転開始は1971年(昭和46年)で、翌72年鉄道友の会ローレル賞を受賞した。


21世紀の電車」のキャッチフレーズの通り、デザイン・メカニズムとも当時としては非常に先進的な設計で、登場した当時はまさに未来の電車だった。先述したチョッパ制御に加えて回生ブレーキ5000系で試作されたアルミ合金製車体なども採用されている。

1990年まで増備が続いた他、その設計は後に有楽町線向けに投入された7000系半蔵門線向けに投入された8000系の基礎となるなど、現在に至る地下鉄車両の礎となった。のみならず、特に思い切った左右非対称の全面デザイン国鉄201系などの地上の鉄道線の車両デザインにも影響を与えたとされる。

鉄道 営団6000系

東京メトロ時代には、良く似合っていた「S」マークが水色コーポレートカラーの「M」に張り替えられてしまい、従来のファン達には受けが悪かった。



1次試作車(ハイフン車)編集

正面画 営団6000系試作編成

1968年に1次試作車として6001-6002-6003の3両編成1本が落成。

「耐用年数40年以上、新技術の導入、保守の容易化、車両の軽量化」をテーマとし、車両デザインは当時としては非常に斬新なものであった。


製造当時は車体裾部に防音用のカバーが設置されていたが、保守点検の際に着脱の必要があるため最終的には取り外されている。


当初は東西線で試験を行い、終了後の1970年代初めに千代田線に転属。この時に番号の改番(6000-1~3)を行っている。この改番により、「ハイフン車」の別名で呼ばれる様になった。

その後、非営業車のまま1973年(昭和48年)には自動可変界磁制御(AVFチョッパ制御)、1978年(昭和53年)にはVVVFインバータ制御試験が行われた。


翌1979年(昭和54年)の北綾瀬支線営業開始に合わせて抵抗制御化。に冷房改造、ワンマン運転対応等を実施)、2014年平成26年)に05系初期車に置換えられるまで5000系アルミ車と共に北綾瀬支線専用営業車として活躍した。最後まで幕車であった。

営業運転終了後は暫く綾瀬車両基地で動態保存後、現在は有楽町線和光検車区新木場分室に移設されており、基地内にある訓練センターで用いる訓練用車両として運用されている。



2次試作車(6101F)編集

みどさん。

電機子チョッパ実用化の目途がついたため、1969年に2次試作車として6011-6012-6013-6014-6015-6016の6両編成1本が落成。車体裾部についてはカバーは取付けなかったものの、量産車とは異なり、広くなっている。東西線で試験が行われた後、量産化改造・10両固定編成化・改番によって6101Fとなった。ちなみに、車体裾部が長い影響で小田急には入線出来なかった。


1994年には冷房改造、1999年1月には改修工事・制御装置のVVVFインバータ化改造が行われ、特徴の車体裾部にはVVVF装置のために切欠きが入った。6101Fは2016年に運用を終了し、インドネシアジャカルタ都市圏の鉄道「PT Kereta Commuter Indonesia」へ海外譲渡された。



量産車編集

1971年の1次車6102Fから1990年の7次車6135Fまで約20年に渡って合計10両編成34本が製造された。当初から千代田線向けに増備。

4次車の6122F以降の編成は、側窓が一段下降式に変更され落成した。また、6次車以降の6133 - 6135Fは当初から冷房車として落成し、非冷房車についても1988 - 94年度に冷房改造が実施された。


1 - 3次車については1988 - 2000年度にかけて改修工事・制御装置のVVVFインバータ化改造を行い、一部編成を除いて側窓の一段下降式化も行われた。4次車以降についても2003 - 06年度にかけて改修工事・制御装置のVVVF化改造を行ったが、こちらは全編成に実施されずに中断。


耐用年数の限界に近付いたため、2010年より16000系による置換が始まり、まず2012年までにチョッパ制御で残ったグループが撤退。その後2015年より同系増備を再開し、残る6000系を全て撤退させることとなった。2018年(平成30年)11月11日の特別運行を最後に営業運転を終了。結果的には「21世紀の電車」のキャッチフレーズ通り、21世紀まで運用されることとなった。

なお、一部は6101F同様海外譲渡となり、インドネシアジャカルタ都市圏の鉄道「PT Kereta Commuter Indonesia」で活躍している。譲渡時期が分かれており、VVVF車・チョッパ制御車が混在している。チョッパ制御の部品が非常に少なく修理が困難な為、故障が相次いだ場合廃車になり部品取り車となった事例もある。


  • ラストランは凄く混んでいて、特に最後の区間となる北千住~綾瀬間では一部の害悪な鉄道オタクにより、子供が倒れたまま押し潰されそうになったり非常ボタンを押されたりする等とトラブルが多発。最終的には無事に6000系は引退したが、史上最悪のラストランになってしまい、翌日にはニュースでも報道された。このトラウマがあったのか、03系引退時はイベント開催を見合わせる事態となってしまった。
    • 03系の場合、COVID-19が世間的に問題になり始めた時期であったことも併せて付記しておく。
    • この影響か、その後引退した7000系も引退の事前告知や大きなイベントは行われず引退後に小規模の記念スタンプリー開催やグッズの販売に留まっている。
    • 一方、02系80番台の場合は車両の引退こそ告知されていないが方南町支線3両編成運用終了が告知されており、事実上引退告知となったが、幸い惨事にはならずに引退した。
    • 上記の02系80番台の様な特殊な例こそあれど、03系以降の車両引退は「○○系が引退します!」という形では告知されておらず、東京メトロ的にも6000系の事例を重く受け止めているのだろう。


現在は編集

量産車第1編成・6102Fは、和光検車区新木場分室でフル編成のまま保存されている。ラストラン時につけられた営団マークはそのままである。後に引退し同じ場所で保存されている7000系7101Fと並ぶことも多い。

何と7101F共々営団時代の方向幕が残っている模様で、換装されて社員向け撮影会が行われたことも。実際に7101Fと検査入場で新木場にいた8000系8109Fも加えた3編成の写真が2023年のカレンダーに掲載されている。引退から5年、東京メトロにはまだまだ愛されているようだ。


関連タグ編集

東京メトロ東京地下鉄 営団地下鉄帝都高速度交通営団 千代田線

常磐緩行線JR東日本) 小田原線多摩線小田急電鉄

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