国鉄/JR東日本203系電車
営団(当時)千代田線と常磐線(常磐緩行線)との相互乗り入れの際に投入された103系1000番台は旧来の抵抗制御車であり、電気をバカ食いしつつトンネル内に大量の熱を放出していた。これらに営団側がクレームをつけたため止む無く国鉄は新型車両を設計、1982年に投入した。これが203系である。
機器類等は201系をベースとしつつ、車体はアルミ車体となり営団6000系と比較しても遜色のない車両となった他、1985年にはボルスタレス台車や装備の簡略化等、後発の車両の要素を取り入れた100番台も登場した。
登場以来常磐緩行線と千代田線のJR側の顔として活躍した203系だったが、後継車であるE233系2000番台の登場によって徐々に数を減らし、2011年9月末をもって引退した。
運用路線
第二の人生
その後、インドネシアのジャカルタ近郊で通勤電車として再利用されることになり、新潟と川崎から船積みされて彼の地へ向かった。しかも同僚であるメトロ6000系もインドネシアに転入しているので再び競演するという現象が発生した。
さらにはフィリピン国鉄にも譲渡されており、現地は電化されてないため電車ではなく客車として利用されている。しかも客車化改造時に発電機器を積んだため冷房やドアエンジンはそのまま利用できるようになっている。
余談
マト67編成は地下鉄サリン事件の千代田線における被害車両である。1号車のクハ202-107には実行犯林郁夫がサリンの入った袋を傘で突いた跡が残されていた。
事件当日は霞ケ関駅留置線で自衛隊による除染作業を実施後、松戸車両センターに回送で返却された。