駅前停留所から赤岩口停留場までと、途中の井原停留場で分岐し運動公園前停留場までを結ぶ軌道路線。
概要・来歴
通称市内線。名古屋鉄道の岐阜市内線と美濃町線が廃止になったことにより東海地方唯一の路面電車となった。
また札木~東八町間は国道1号線を走行し、現存する唯一の国道1号線を走る路面電車である。
1925年7月に豊橋電気軌道が駅前~札木十字路間と神明~柳生橋間(柳生橋支線)で運行開始。12月に東田まで延伸した。
1945年6月の豊橋空襲により全線が不通となるが、9月までに全線を復旧。
1949年に社名を豊橋交通へ改めた。
同年12月に市役所前~赤門前(現:東八丁)間が複線化されたのを皮切りに複線化が行われた。ただし1950年に複線化された駅前~市役所前間は当初新大手通(神明~市役所前間)と駅大通(駅前~神明間)にそれぞれ単線の新線を建設し、上りは旧線、下りは新線を通るループ構造になっていた。1951年までにこのループ構造は解消された。
1952年に全線の複線化が完了した。10月に駅前~市民病院前間が単線で開業。
1954年に社名を豊橋鉄道へ改めた。
1960年に競輪場前~赤岩口間を単線で延伸。それまで東田にあった車庫を赤岩口に移転した。かつての東田車庫跡には現在スギ薬局が建っている。
1970年代には各都市で路面電車の廃止が相次ぎ、東田本線も1973年に駅前~市民病院前間を廃止、1976年には柳生橋支線が全線廃止となった。
しかし1982年には井原~運動公園前間が開業した。
1990年から軌道のセンターポール化が行われ、1998年には駅前停留場を豊橋駅前ペデストリアンデッキ下に直結。
2005年には駅前大通停留場が新設され現在に至る。
幻の延伸計画
開業当時の計画では大橋通りを直進し豊川大橋(現在の豊橋)に至る大橋線という支線も計画されていたが、道幅が狭く軌道の敷設が困難であるとして1936年に計画が中止された。
駅前~市民病院前延伸後、さらに西八丁まで延伸する計画があった。市民病院前から守下交差点で東に向かい西八丁交差点で合流する形で既存の駅前~札木間と合わせた循環系統を運行する構想だったが、守下交差点付近の急勾配の電力負荷が大きいことから建設は断念され、最終的には豊橋駅改修工事の影響で駅前~市民病院前間も廃止されている。
ちなみに赤岩口の車庫は赤岩口停留場東側に伸びた線路からスイッチバックで入る形になっているが、これは単に赤岩口車庫の立地の都合とも考えられこちら側に延伸計画があったかは不明である。
日本一の急カーブ
1982年に新設された井原停留場から運動公園前停留場への分岐は半径11mと日本の鉄道・軌道線路では最も急なカーブとして知られている。豊橋鉄道の公式サイトにも「R11」という通称で記載されている。
この急カーブを通過するためにモ3500形は入線時に大改造を施され、モ800形も車高をかさ上げする形で通過できるようにした。
イベント電車
夏季には「納涼ビール電車」、冬季には「おでんしゃ」が運行される。いずれも運行開始当初はモ3100形、同車の運用離脱後はモ3200形が運用に就いている。
また豊橋まつりの開催時期が近づくとこれらのイベント用車両に装飾を施して花電車として運行している。
路線データ
営業距離 | 4.8km(駅前~赤岩口)+0.6km(井原~運動公園前) |
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軌間 | 1067mm |
駅数 | 14駅 |
複線区間 | 駅前~競輪場前間 |
電化区間 | 全線(直流600V) |
閉塞方式 | 特殊自動閉塞 |
運行形態
日中は15分間隔、朝夕は最短5分間隔で運行される。基本的には赤岩口行きと運動公園前行きが交互に発着するが、朝夕は競輪場前折り返しの電車もある。
豊橋まつり開催時には新川停留所で折り返し運転を行うため、新川停留所西方に渡り線が設置されている。
車両
2005年に廃止となった岐阜市内線で運行されていたモ780形が主力形式。
附番方式は開業時は「モハ○○形」だったが1964年に名鉄式の「モ○○形」に改められ、さらに1968年にはボギー車のみ3000番台となった。
現在の車両
- モ3200形:1976年と1981年に計3両を導入。元名古屋鉄道モ580形。1両がイベント用として残されている。
- モ3500形:1992年と1999年に計4両を導入。元東京都電7000形。導入に当たって大改造が施されたため外観が異なる。
- 2024年3月にモ3503の車体載せ替えによる延命工事が実施された。
- モ780形:2005年に7両を導入。元名古屋鉄道モ780形。豊橋鉄道初のVVVFインバータ制御車。
- モ800形:2005年と2019年に計3両を導入。元名古屋鉄道モ800形。
- T1000形:2008年に1編成が導入された前面低床車。豊橋鉄道としては初の自社発注車である。
- 2024年3月からモハ100形をイメージしたマルーンのラッピングが施されている。
過去の車両
単車
モハ100形 | 開業時に導入された木造単車。日本車輌製。開業時に6両、1926年に4両が製造された。当時としては先進的なシングルルーフの密閉車体で「乗り心地のいい電車」と称賛された。製造時はマルーン、戦後に青色に塗り替えられ、末期は緑色と黄色のツートンカラーだった。1957年に全車廃車。 |
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モハ200形 | 1949年に4両を導入。元旭川市街軌道1形(1929年川崎車輛製)2両と同22形(1930年汽車会社製)2両。旭川から豊橋まで鉄道で輸送された。半鋼製の比較的大型の車体の単車で、スカイブルーの車体塗装が特徴だった。1965年に廃車となったが車体は1980年頃まで赤岩口に残されていた。 |
モハ300形 | 1951年に4両を導入。元名古屋市電140形(1931年名古屋市電西町工場製)。木造・ダブルルーフ・オープンデッキと古めかしい外観で、事実上ボギー車投入までのつなぎ役だった。1963年に廃車となり、1両が保存されたが山林に放置されて朽ち果ててしまい、伊香保軌道線デハ27復元整備のための部品取りにされて撤去された。 |
モハ400形 | 1951年に3両を導入。元桑名電気軌道3形(1928年日本車輌製)1両と元下之一色電車軌道5形(1924年日本車輛製)2両。いずれも名古屋市電を経由して譲渡された。由来が異なる車両で元桑名車(401)は半鋼製、元下之一色車(402・403)は木製と形態からして異なるがなぜか同じ形式名となった。1963年廃車。 |
モハ500形 | 1957年に16両を導入。元名古屋市電半鋼製単車。市内線で歴代最多の車両であり、3両は柳生橋支線向けにワンマン運転対応車両に改造された。ボギー車の入線に伴い1968年廃車。 |
ボギー車
モ3600形 | 1961年に3両を導入。元三重交通541形(1937年大阪鉄工所製)。東田本線初のボギー車だったが扉配置がワンマン化に適さず1971年廃車。 |
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モ3700形 | 1963年に4両を導入。元名古屋市電1200形(1927年日本車輌・東洋車輛製)。東田本線でのワンマン運転開始に伴い1971年に2両が廃車となり、3200形の導入に伴い1両が廃車となったが、残ったモ3702はレトロ電車として2005年まで活躍した。 |
モ3800形 | 1963年に6両を導入。元名古屋市電900形(1943年木南車輌製)。1989年までに全車廃車。 |
モ3900形 | 1964年に2両を導入。元名古屋市電1150形(1946年新潟鐵工所製)。木造車の鋼体化改造車で高床構造のままだった。1971年までに全車廃車。 |
モ3300形 | 1967年に2両を導入。元北陸鉄道モハ2300形(1961年日本車輌製)。北陸鉄道時代のツートンカラーを纏い異彩を放った。冷房化できなかったことから1999年廃車。 |
モ3100形 | 1971年に9両を導入。元名古屋市電1400形(1942年新潟鐵工所製)。東田本線ワンマン運転に備えて導入され、長らく東田本線の主力形式を務めた。2005年に定期運用を離脱し、残ったモ3102は2010年までイベント用車両として活躍した。 |
駅一覧
運動公園前支線