直流600V時代に愛電3300系(初代)の車体に手持ちの国電の機器を取り付けた初代と、直流1500V昇圧後に東急7200系と上田電鉄7200系を譲受した現行の2代目の2種類が存在する。
なお、「1800系」という系列名は、車体長18m級である事に由来する。
豊橋鉄道1800系(初代)
1967年、名鉄3780系に電装品を供出した愛知電気鉄道(現・名古屋鉄道)3300系(初代)の車体4両を譲受し、手持ちの機器(飯田線で使用されていたクモハ14形の廃車発生品といわれている)を取り付けて使用を開始。
全電動車でツリカケ駆動だが、これは当時の豊橋鉄道の路線事情でモーターを1両二個に分散し重量を平均化した為だった。この方法は後に導入された1770系(元名鉄3800系)でも行われた。
車体塗装は当時豊橋鉄道の新標準色となったばかりのクリーム色に赤帯の塗装に変更され、緑色単色で重厚だった名鉄時代と比べて軽快な印象になった。
愛知電気鉄道→名古屋鉄道時代は「超特急あさひ」で俊足を誇ったが、豊橋鉄道時代は俊足で飛ばすには至らず、2扉車ながらオールロングシートに改装されたが、その後1980年代には3扉に改造され、電圧昇圧までの1997年まで活躍した。
豊橋鉄道1800系(2代目)
1997年、豊橋鉄道は電圧を直流1500Vへ昇圧。その際ツリカケ駆動の元名古屋鉄道7300系を譲り受けたのだが、7300系自体の性能の悪さ(特に加速度の悪さが決定的だった)と2扉車である事に起因する遅延が問題視され、早々と代替車両を導入を決定。2000年に東急目蒲線が東急目黒線と東急多摩川線に運転系統が分離され、使用車両の東京急行電鉄(現・東急電鉄)7200系に大量の余剰が発生する事になり、同系に白羽の矢が立った。
2000年より投入開始。まず3両編成9本と部品取り用3両の30両を購入したが、2001年に高師車庫の火災で2両が焼失。急遽部品取り車として留置していた2両を営業車として整備し復帰させた。
その後増発及び予備車確保の為、2008年に1000系導入による置き換えで余剰となった上田電鉄7200系(元東急7200系)の2両を購入、部品取り車の1両と組み10編成目として就役させ現在に至る。
渥美線ではワンマン運転を行っていないため、上田電鉄から購入した2両はワンマン運転関連の機器を撤去している。
東急時代は電装品メーカーが日立製のものは7200番台、東洋製のものは7250番台とされていたが特に区別されていない。ただし編成ごとに電装品メーカーは統一されており1801編成~1806編成は日立製、1807編成~1810編成は東洋製となっている。
かつては方向幕は東急時代のものの空きコマに「新豊橋」、「三河田原」など豊橋鉄道の駅名を書き込んでおり、イベントなどでは「目黒」、「蒲田」、「多摩川園」など東急時代の行先を表示していたこともあった。しかし後述のカラフルトレインへのリニューアルに際し新規の方向幕に換装された。同時に一部の車両に装備されていた側面方向幕も撤去されている。
2013年から異なる花のラッピング装飾が行われ、現在は全編成が「渥美線カラフルトレイン」として運行中。
これ以前は1804編成は青色塗装で「なぎさ号」、1807編成は黄色塗装で「なのはな号」、そして1810編成は緑色塗装で「しばざくら号」の愛称があった。
編成番号 | 塗装 | 愛称 |
---|---|---|
1801 | 赤 | バラ |
1802 | 茶 | はまぼう |
1803 | 赤紫 | つづじ |
1804 | 青 | なぎさ→ひまわり |
1805 | 紫 | 菖蒲 |
1806 | 黄緑 | しでこぶし |
1807 | 黄 | なのはな→菜の花 |
1808 | 緑 | 椿 |
1809 | ピンク | 桜 |
1810 | オレンジ | しばざくら→菊 |
2024年3月からは豊橋鉄道創立100周年を記念して1807編成に渥美線開業時の車両をイメージした濃緑色単色のラッピングが施されている。