概要
南海高野線初のカルダン駆動車として1958年から1964年までに4両編成8本が帝國車輛工業(後に東急車輛製造へ合併)にて製造された。
難波-橋本-極楽橋間を直通運転する、いわゆる「大運転」に対応するズームカーの最初の車両。同社の22000系との区別のため、通称「丸ズーム」と呼ばれた。
第4編成までは特急「こうや」の予備車を兼用していた関係で扉間転換クロスシートで製造されたが、第3・4編成についてはモハ21001(奇数車)の連結器をCSD-80廻り子式密着連結器に交換した際にオールロングシートへと改造された。
1973年の高野線昇圧に伴い、前年から検査入場に合わせて近畿車輛で昇圧対応工事が行われた。昇圧対応により
- 制御系が1C4M(1台の主制御器で4つのモーターを制御)から1C8M(1台の主制御器で8つのモーターを制御)へ変更
- 難波方の奇数車にパンタグラフ・電動発電機・コンプレッサーを搭載し、極楽橋方の偶数車に制御装置と自然通風式抵抗機を搭載
などの変更が加えられている。同時に冷房化も実施。
1990年に後継車として2000系が登場し、これに置き換えられる形で1997年までに運行終了。過渡期には2000系との併結運転も行われた他、第2・3編成については中間車を抜いて2両化し、連結器の交換や山岳線向け装備をカットするなどの小改造を施し南海多奈川線・南海和歌山港線への転用も行われている。ただ多奈川・和歌山港線での運用期間はごく短期間で終了。