概要
1956年5月7日、モハ1283・クハ1894・モハ1282の3両編成の準急列車が南海高野線山岳区間走行中に火災で焼失。復旧の際一から車体を造り直す方針となり、焼失した3両分の台車・機器類と手持ちの予備部品を活用してモハ21201・モハ21203・サハ21801・モハ21202の4両固定編成を組成。1957年6月19日付で竣工した。
高野線では南海本線と同様に新車増備計画があったが、この21201系については翌1958年デビューのズームカー・21000系と同等の車体となり、扉間も21000系初期車と同様の転換クロスシート配置となった。
登場後は大運転に用いられていた機器流用元のモハ1251形などと共通運用が組まれ、21000系の直流1500V昇圧改造工事期間中は、その予備車として活用。1967年には台車を種車と同じK-16から空気バネのKB-60に換装した。
本系列は改造対象外であったため、高野線の1500V昇圧後は休車となった。
- 中間車2両は休車後すぐにそのまま廃車解体。
- 極楽橋方先頭車・モハ21202は休車のまま運用復帰することなく、1983年3月29日付で廃車となった。
- 難波方先頭車・モハ21201は電装解除を行ってクハ21201となり貴志川線へ転属した。ラッシュ時の3両編成運用の増結用車両として活躍。当時の貴志川線で唯一の全金属車体を持つ車両となったが、3両編成運用廃止後の1986年8月29日付で廃車となった。クハ21201は廃車後衝突実験に用い、社内で使用するデータ収集を行って解体された。