概要
ズームカーの名の由来には二つの説が存在し、平坦区間から山岳区間までにおいて、広範囲に速度と牽引力を制御できる性能を備えた車両を、広角から望遠まで、広範囲に画角を変えられる、カメラのズームレンズに例えて、「ズームカー」と命名したという説、在来車よりも優れていた加速性能や急勾配を力強く上る様子を、航空機が速度とひきかえに急角度で上昇する機動を指す「ズーム上昇」に例えたという説が存在する(レンズの語源が、航空機の機動である)。「天空」のパンフレットおよび車内放送では前者の説を紹介している。ズームカーは急勾配での性能を確保するため、基本的に全車両が車体長17mの電動車である。
車両別解説・一般形
※一般形車両は全系列が相互に連結可能。2000・2300系は在来車との連結が出来るよう、当時主流になりつつあった電気指令式ブレーキではなく電磁直通式ブレーキを踏襲した。
21000系
「丸ズーム」。南海高野線初のカルダン駆動車として1958年から1964年までに4両編成8本が製造された。第4編成までは特急「こうや」の臨時運用に備えてクロスシートで登場したが、第3・4編成はのちにロングシートへ改造された。架線電圧が直流600Vから直流1500Vに昇圧される事が決まると、車体はそのままに機器類は昇圧対応のものへ交換された。冷房化工事も同時に施工。
1990年から1997年までに2000系に置き換えられて引退。先頭車12両は地方私鉄への移籍が決まり、8両が一畑電車、4両が大井川鉄道へ移籍した。
22000系
「角ズーム」。架線電圧が直流600Vから直流1500Vに昇圧される事から、旧型車置き換え用として登場。また、乗客増加に伴い21000系の増結運用も担当することになり、車両はすべて2両固定編成とした。1969年から1972年までに2両編成16本を製造。
改造・移籍
1990年代に入りリニューアル工事を実施。南海高野線へ引き続き残る3編成は「2200系」、支線区へ転用される3編成は「2230系」、貴志川線に残っていた旧型車の置き換え用として転用される6編成は「2270系」に形式変更された。その後、高野線に残った3編成は後述の2000系との性能差の問題から置き換えられ、2230系が活躍している支線区へ転用。
上記のほか、2両は熊本電気鉄道へ移籍。また、貴志川線へ転用した2270系6編成は、路線が和歌山電鐵へ移管されるとともに譲渡されている。
観光列車「天空」への改造、高野線復帰
南海高野線山岳区間限定の観光列車を製作することになり、2200系の2203編成がその種車に選定され、改造工事が行われた(改番も実施し2208編成となる)。観光列車「天空」の座席指定車として2009年に運行を開始した。
2000系
「ステンレスズーム」。南海電気鉄道初のVVVF制御車。21000系・22000系に代わるズームカーとして1990年から1997年にかけて4両編成9本、2両編成14本が製造された。
2300系
「赤ズーム」。2005年からの高野線山岳区間におけるワンマン運転開始に合わせて2両編成4本が製造されたVVVF制御車。当初は2000系の別番台でロングシートになる予定だったが、観光用と将来の橋本運転系統分断で限定運用になる為、仕様変更された。2000系と異なり転換クロスシート主体である。2両編成単独で運用できるように徹底した二重化対策が行われている。緊急時以外は基本的に山岳区間のみで運行。
完全新造ではなく、空気圧縮機(コンプレッサー)のみは廃車になった7100系からの流用とした。
編成および車両愛称は以下の通り。
←難波 極楽橋→
モハ2301-モハ2351
車両別解説・特急形
※特急「こうや」用。「デラックスズームカー」の肩書きがある。
20000系
特急「こうや」の2代目として1961年に4両編成1本が新造された。難波方から3両目は付随車のサハ20801号であった。架線電圧が直流600Vから直流1500Vに昇圧される事が決まると主要機器のみを新製交換した。1985年に30000系に置き換えられ引退。
30000系
20000系は1編成しかなく、定期検査の時は特急「こうや」を運休にしなければいけなかったため、年間を通して運行できるように4両編成2本が製造された。「真言宗宗祖弘法大師入定1150年大法会」に合わせて1984年運行開始。のち1999年にはリニューアル工事を実施。内装を11000系・31000系に合わせ、特急「りんかん」の8両運転もできるように電気連結器の取り付け改造を行った。
31000系
先述の30000系のリニューアル工事に伴う車両補充分、および特急「りんかん」の8両運転に備えて1999年に4両編成1本が製造された。他車との共通化のため、機器類は廃車になった22000系からの流用とした。11000系・30000系と連結可能。