経緯として後述するが、元が762mm軌間の軽便鉄道で、改軌後も構造物の大きさが変わらなかったため、旅客車両は762mm軌間用だったものと考えてもかなり床面が低く、また線形が厳しいため気動車・電車といった動力分散式車両を導入できる状態ではなかった。
このため、一貫して機関車牽引で全ての列車が運転されてきた。
アプト新線切り替え前は上下とも機関車が列車前頭部について客貨車を牽引する、昔ながらの動力集中方式の運転形態であったが、アプト式導入以降は連結器の負担を減らすと同時に安全を担保するため、ディーゼル機関車についても坂下側の千頭方に付き、プッシュプル運転することとなった。このために運転台付きのクハ600が製作され、井川線で運行される全ての客貨車に制御回路や空気管の引き通しが設備された。
長島ダム建設に伴って一部区間が水没することに伴い、新線を建設したがこの新線には90パーミル(1000m進んで標高が90m高くなる)という急勾配が存在するため、日本では碓氷峠越えの信越本線で廃止されて以来消滅していたアプト式が採用された。
元々当路線は中部電力の前身である大井川電力が大井川へ水力発電所を建設する際、資材を輸送するために作られたものである。その名残で鉄道資産は中部電力が所有しており、赤字額を中部電力が補填している。同様の鉄道路線としては関西電力子会社の黒部峡谷鉄道がある。
開通当初は762mm軌間で開業し、大井川鐵道に運行が委託された後1,067mmに改軌されたが、車両は開業当初のまま小さくなっている。
※黒塗りはアプト区間。
井川駅以遠には1971年までは堂平貨物駅が存在していた。現在でも法律上は休止線という扱いである。桃の木島まで延伸した場合は当駅も島和合停車場として旅客営業する事になっていたが、結局この路線は未成線となっている。