国鉄451系
1962年に登場した153系をベースに交流50Hzにも対応させた形式。同時期に北陸エリア向けの471系も登場している。
クモハ451-1~9までの9両はステップの設置と車体強度確保を両立させるために運転席直後の乗降ドアが外吊り式になっていた。しかしドアがトンネル走行中に気圧差から勝手に開いたり、雪が車内に入り込んだりと不都合が多かったことから10以降は一般的な戸袋式に変更され、9までの9両も戸袋式に改造されている。
451系としてはクモハ・モハ合わせて24両の製造で終わっているが、形式を分ける必要性が薄い付随車については引き続き451形として増備され、抑速ブレーキを搭載する455系・475系の登場まで製造が継続された。
JRには717系0・100番台に改造を免れた車両が引き継がれたのみで既に全廃されている。その717系も2008年には該当の車両が全廃された。
しかし、サハ451-101と2がそれぞれ413系クハ412-3と8に改造され、クハ412-3はあいの風とやま鉄道「とやま絵巻」として現在も運用に就いている。その他、471系の制御付随車として製造されたクハ451も一部がクハ412に改造された。
西武451系
501系の後継車として1959年に登場した吊り掛け駆動の通勤型電車。いわゆる赤電塗装として登場した最後の形式でもある。
当初は制御電動車のモハ451形のみが登場し、クハ1411と組み合わせて2両編成で運用されていたが付随車のサハ1471、制御車・中間電動車も後から追加されていった関係で非常に複雑な編成組み換えと改番が実施されている。
501系から変更された点としては
- 正面形状を2枚窓の湘南型から国鉄101系のような切妻1枚窓へ
- 客用扉を両開きへ(西武初採用)
- 構体設計の見直しで501系後期型と比べて2トンほど軽量化
なお両開き扉の採用に合わせ、1台のドアエンジンで2枚のドアを開閉するST式戸閉機構が開発され、国鉄など同業他社へも爆発的な広まりを見せた。
主要機器類はモーターはMT15系(出力100kw)、制御装置はCS5とCS9の組み合わせ、ブレーキは電磁自動空気ブレーキ(発電ブレーキなし)、台車はTR14A(電動車)、TR11A(付随車)、パンタグラフはPS13など国鉄の払い下げ品で占められている。
1979年より廃車がスタートし、1984年までに西武線から姿を消した。
譲渡車
20m3ドア車体で2両編成を組める事から上信電鉄、三岐鉄道、一畑電鉄へと譲渡された。
上信電鉄
1980年よりクモハ451を6両譲り受けて自社100形としてデビュー。このうち半数は入線に際して電装解除し、モーターをMT30形(出力128kw)に交換している。
1984年12月に発生した正面衝突事故の被災車2両が廃車され、その補充としてクモハ461-クハ1662が追加譲渡された。この追加譲渡分は西武時代から2両で運用されていたので足回りはほぼいじっていない。
1992年から元西武401系の150形への置き換えがスタート。1996年までに全廃された。全廃後も103編成のみが高崎駅構内で倉庫代用品として使用されていた。2012年に車体を現役時代にまとったことがないコーラルレッド地に紺色の帯が入った上信電鉄の旧標準塗装に塗り替えられ、2017年に解体された。(イラストは倉庫代用時代末期の塗装)
三岐鉄道
1981年より451系と571系の譲渡を受けて自社601系としてデビュー。451系を種車としているのは3編成6両で、最終編成は571系を種車としている。主要機器類は西武時代と全く同じ。三岐線で運用されていたが、西武401系由来の101系が導入され第1編成が廃車。残った2編成も801系導入で廃車となって451系由来の編成が全廃された。
571系由来の最終編成のみ生き残り、三岐線最後の吊り掛け駆動電車としてイベント運用などで重宝され、2009年に廃車となった。
一畑電鉄
1981年より3編成6両の譲渡を受けて自社80系としてデビュー。外観上は塗装が変わったこととベンチレータが交換されたこと以外西武時代とほぼ変わっていない。
1994年から元京王5000系の2100系や元南海21000系の3000系へと置き換えが開始され、1996年までに全廃された。