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概要編集

いわゆる赤電グループに属する電車。

戦後の1954年に登場し、半鋼製車体と全鋼製車体が混在して1980年までに消滅した吊り掛け駆動のものと1981年に701系のクハを電装した新501系がある。


1954年登場の501系編集

501-520編成編集

メインイラストの車両。1954年に第1編成が当時の復興社所澤車両工場(後の西武所沢工場)で落成した。

なお竣工当時は世界的なレベルの車両であることを目指して、ユネスコ村にあやかったユネスコ電車という愛称があった。


編成はMc501(奇数)-T1501-T1501-Mc501(偶数)の4両編成で、このグループは両端のMcが17m級車体、中間のTが20m級車体と不揃いになっていた。


先頭形状は2枚窓のいわゆる湘南顔で、亜流型の中でも比較的オリジナルに忠実な設計となっている。


機器類は多くが国鉄からの払い下げ品で、モーターは鉄道省制式で当時の西武が所有するモーターで最も高出力のMT30型を搭載。自社ストック品の他、足りない分は既存車へ搭載されていたものを転用している。

制御機器は電空カム軸式のCS5と界磁接触器のCS9の組み合わせ。

ブレーキはAMA/ATA自動空気ブレーキ。後年の改造で電磁弁を追加したAMAE/ATAE電磁自動空気ブレーキとなった。

台車はサハは全車TR11、モハ501-510はTR25A、モハ511-516はTR25、モハ517-520はTR22を履く。


501-519編成はモハの車体長が17mと短いために増加傾向の輸送需要に追いつけず、1958年から同番号で20m車体の2代目を新造し、編成替えを行った。なお2代目モハの新造に際して主要機器を初代から流用し、編成から外されて機器を供出した初代モハはモハ311などから捻出したMT15系モーターとCS5型制御器を搭載し、モハ411形へ編入された。


521-530編成編集

西武501系(2代)

1957年に落成した後期グループ。2代目501系と呼ばれることもある。


機器や編成の車種構成は初期グループとほぼ同じだが、車体が半鋼製から全鋼製となり、屋根が薄く平べったくなった印象を与える。またモハの台車が全車TR22で統一され、コンプレッサーとMGがモハからサハに移されたため、モハでの単独走行ができなくなっている。


改造編集

空気ばね台車化改造編集

1959年から401系を利用して空気バネ台車の実用化試験を行っていたが、この成績が良好であったため、501系の装備するTR25・TR25A台車の空気ばね化改造が行われた。

改造は既存の枕バネを撤去してその部分にベローズ式空気ばねを設置し、ボルスタアンカーを新設するというもので、同時にモハの一部で台車振替を行った。


その他改造編集

1964年に西武の車両形式記号が改訂され、制御電動車がモハからクモハへと変更された。このため本系列の制御電動車もモハからクモハへと変更された。


1969年から半鋼製車体の初期編成のサハで木製部分の老朽化が著しくなったため、以下の修繕・改造が行われた。

  • 屋根を中心とした木製部分の修繕
  • 屋根部ビニールの撤去・塗装仕上げ化
  • 木製雨樋の鋼製品への取り換え
  • 側窓枠下段のアルミサッシ化
  • 座席下蹴込み板のステレンス化
  • サハ1501の偶数車を対象に、飯能・西武新宿方車端部へ両開き式貫通扉の新設

その他にも車内送風機を扇風機へ交換、先頭車前面への行先表示器新設、ATS・列車無線の搭載などが行われた。


運用編集

高度経済成長に伴う爆発的な通勤需要増大への対応策として余裕のある高速性能に着目した西武は、4両編成で2M2Tの本系列を2M4Tの6両編成へ組み替えることを計画。

1962年にサハ1551を10両製造。これを521-530の5編成へ2両ずつ組み込み、2M4Tの6両編成を組成した。

しかし編成出力の著しい低下による起動加速度の劣化が見過ごしきれないレベルとなったため、1968年に編成を解消。脱車したサハ1551は5両が電装され、551系の中間車へ転用された。


晩年は主電動機出力の余裕を活かして秩父線のハイキング急行運用に数多く充当された。

しかし101系の増備進行で廃車が決定。1975年に伊豆箱根鉄道への譲渡のために廃車となった529編成を皮切りに、1980年までに全廃となった。


廃車後は全60両中31両が譲渡され、解体車両から発生した台車やモーターはTR22台車の振替や451系上信電鉄譲渡分へ転用された。

譲渡編集

総武流山電鉄編集

1979年から81年にかけて509・511・515・523の4編成が移籍した。

509・511編成では偶数サハ、523編成では奇数サハをそれぞれ脱車させ、515編成は自編成のサハが2両とも他社譲渡の対象となったため527編成に組み込まれていたサハ1527を組み込んで譲渡された。


譲渡後は1200形を名乗り、同社総武流山線の主力として活躍したが、老朽化により1995年から1999年にかけて全廃された。


伊豆箱根鉄道編集

1975年2月に529編成が事故に伴う車両不足解消名目で西武からレンタル→同年10月に正式譲渡されたのが始まりで、1977年に521編成、1979年に527編成が移籍した。

521・529編成は4両編成で移籍し、サハ1522・1530を編成から脱車、527編成は先頭車のみが入線し、ストックされていたサハ1522を組み込んだ。


入線後は自社製造の1000系と同じ系列へ編入され、台車交換やブレーキの電機指令化などが行われたが非冷房がネックとなり、1987年から90年にかけて廃車された。


なおサハ1530はモハ52・53の中間に組み込まれて運用されていたが、編成相手の廃車と運命を共にした。


大井川鐵道編集

1978年にサハ1515・1516が移籍した。大井川入線後、サハ1515は展望客車のスイテ82形へ、サハ1516はお座敷客車のナロ80形へと改造され、日本でも珍しい電車から客車への改造車となった。


原型は留めていないが、現存する最後の501系電車である。


三岐鉄道編集

1977年に505編成が移籍した。三岐線入線後、サハ1506を編成から脱車させ、モーターをMT15へ、モハの台車をTR14Aへ交換した。その後、サハ1505が老朽化を理由に廃車となったため、サハ1523が西武から移籍し、2代目サハ1505へと改番された。


1980年には525編成が移籍。移籍に際してはサハ1526を外した3両編成で三岐線へ入線。モーターや台車の交換を505編成と同様に行い、追加で前照灯のシールドビーム化も施工している。


2編成とも三岐鉄道501系として運用されたが、冷房車の増備で1990年に505編成が、1995年に525編成が廃車された。


1981年登場の新501系編集

西武501系(3代)

701系が冷房化改造と同時に一部編成を対象に4両編成から6両編成へ組み換えを行った。

この組み換えでクハ1701形6両が余剰となったため、101系と同じ電気機器を利用して電装し、新501系として3編成が落成した。


新501系は車体の外観は701系とほぼ同じであり、異なるのは電気機器が101系と同等品になっている事ぐらいである。


新501系は701系・801系と性能特性が大きく異なり、混成すると加減速時の衝動が酷いなど乗り心地の面で難があり、1990年に3編成全部が廃車となり、電装品は、西武10000系に転用されたと言われている。

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