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概要編集

名鉄グループ傘下の海運会社であり、名古屋~仙台~苫小牧間の長距離フェリーの定期運航を行っている。1982年、太平洋沿海フェリー(1970年設立)の営業権を引き継ぎ設立。長距離フェリーとしては経営規模は格別大きい訳ではないが、客船レベルの豪華な設備に定評があり、移動だけでなく、船旅自体を楽しむラグジュアリーフェリーの代表格として高い評価を受けている。また、名古屋発着の便は福島県沖ですれ違うが、その際かなり接近するのもサービスの一つとしている。なお、苫小牧~名古屋の乗り通し時間40時間(2泊3日)は、一部時間帯のマルエーフェリー阪神航路に次ぎ日本の定期航路では第2位である。

太平洋沿海フェリー時代は名古屋~那智勝浦~大分間の定期航路も存在した。


ファンネルマークは青い円の中に白で「TF(Taiheiyo Ferryの頭文字)」を図案化したデザイン。これは旧・太平洋沿海フェリー時代の「TEF(Taiheiyo Enkai Ferry)」マークをアレンジしたデザインになっている。


歴史編集

1970年10月20日:太平洋沿海フェリー設立。名古屋商工会議所の会頭であり、当時の名鉄社長だった土川元夫らによって立ち上げられた。この縁から太平洋フェリーは現在も名鉄系列である。

1972年10月1日:名古屋~大分間で営業開始。「あるかす」就航。

1973年1月31日:「あるびれお」就航。

1973年3月25日:「あるなする」就航。「あるびれお」は後述の苫小牧航路に転属。

1973年4月1日:現在も運航されている名古屋~仙台~苫小牧間航路開設。「あるびれお」が同航路に就航。

1973年6月28日:「あるごう」が九州航路に就航。入れ替わりに「あるかす」が苫小牧航路に転属。

1974年7月15日:「あるびれお」が機関修理のため9月7日までドック入り。この間、フジフェリーから「いせ丸」を借り受けて苫小牧航路で使用した。

1974年12月26日:初代「いしかり」暫定就航。これによりドック入りの際に他社からの傭船をする必要がなくなった。

1975年4月1日:初代「いしかり」が苫小牧航路に正式に就航。

1975年5月3日:九州航路、上り便(名古屋行き)のみ那智勝浦に寄港開始。

1975年7月1日:「だいせつ」苫小牧航路に就航。

1975年10月26日:九州航路減便、「あるなする」は日本カーフェリーに売却され「えびの」と改称。

1980年4月1日:九州航路休止。「あるごう」は関西汽船に売却、「フェリーこがね丸」に改称。コンピューター貨物システム稼働。

1981年4月1日:九州航路廃止。

1982年4月8日:現法人である太平洋フェリーが名鉄の完全子会社として発足。旧・太平洋沿海フェリーから事業を引き継ぎ。(旧法人は「名鉄管財」となったのち清算・解散。なお名鉄管財が保有していた船舶は1984年に現法人が購入)

1985年1月16日東日本フェリーの大洗~苫小牧間の航路が開設。これに関連する航路調整のため「だいせつ」を東日本フェリー・初代「ばるな」として売却。

1987年10月26日:初代「きそ」就航。

1987年11月2日:「あるかす」退役。

1989年10月21日:初代「きたかみ」就航。

1989年10月26日:「あるびれお」退役。

1991年3月25日:2代目「いしかり」就航。

1991年4月2日:初代「いしかり」退役。

1999年4月:船内のレストランをそれまでのカフェテリア方式からバイキング(ビュッフェ)形式に変更。

2004年1月9日:2代目「きそ」就航(初代はこの時点で引き続き運航していたため、当初は「ニューきそ」と呼ばれた)。

2011年3月8日:2代目「いしかり」退役。

2011年3月11日東日本大震災の影響で全便運航停止(3月23日より貨物限定で運航再開)。

2011年3月25日:3代目「いしかり」就航。

2011年5月26日:暫定ダイヤで旅客運航再開。

2011年6月5日:通常運航を再開。

2019年1月19日:初代「きたかみ」退役。

2019年1月25日:2代目「きたかみ」就航。


船舶編集

太平洋フェリー

(イラストは現用3隻を擬人化したもの)

いしかり(3代)編集

就航:2011年 総トン数:15762トン 旅客定員:777名

現在太平洋フェリーで2番目に新しい船である。同じ名前を持つ船として3代目であり、国内フェリー最大面積の個室となる52平米のロイヤルスイートルームを備える。内装コンセプトは「エーゲ海の輝き」をテーマに青と白を基調としたものになっている。

東日本大震災当日には翌日に予定されていた船内見学会のため東京港に入港していたが、大津波警報を受け港外へ緊急退避した。その後、就航前ではあったが、被災地への人員物資の緊急輸送に従事した。

きそ(2代)編集

就航:2005年 総トン数:15795トン 旅客定員:768名

2005年、太平洋フェリー史上最大の船として満を持して就航した船。内装コンセプトは「南太平洋のしらべ」。パブリックスペースを大幅拡充しつつ、客室についても一等室の二段ベッド廃止や全室カードキー化、B寝台完全セパレート化、A寝台の廃止とS寝台の設置など、新機軸を多数取り入れた。同じ名前を持つ船として2代目であるが、初代の引退前に就航したため、一時期二隻の「きそ」が並行して運航されていた(このため当時は「ニューきそ」の通称で呼ばれていた)。

初代「きたかみ」退役により現用3隻の中では「きそ」が最古参となった。

きたかみ(2代)編集

就航:2019年 総トン数:13694トン 旅客定員:535名

現用3隻の中で最も新しい船で、後述する初代の代船として建造された。

他の2隻よりも一回り小型(とはいっても全長は192.5mあるため大型フェリーであることに変わりはない)で、主に仙台~苫小牧間の区間便に使用される。

内装コンセプトは「SPACE TRAVEL」であり、夜間航路にふさわしい光の演出が特徴。

太平洋フェリーとしては初めての1人用個室を備えた船でもある。

船型も工夫されており、従来比で10%の省エネルギー化を実現している。


退役した船舶編集

きたかみ(初代)編集

就航:1989年 退役:2019年 総トン数:13937トン 旅客定員:792名

他の2隻が船齢4年と10年に対して、船齢26年とずば抜けて古い一隻であった。内装コンセプトは「スターダストの詩」。2011年に引退した2代目いしかりよりも古いが、2005年のきそ就航に合わせてリニューアルを行っていた。在籍する3隻のうち唯一展望室を有する他、バブル時代の名残として2等室の一部は宴会場やミーティングルームとして使用されていた部屋がある。ちなみに運賃は他2隻に比べ低額であった。

東日本大震災当日は通常運航のため仙台港に停泊していたが、大津波警報を受け湾外へ緊急退避して難を逃れた。震災以後、津波に備え名古屋~苫小牧直通旅客は仙台での途中下船ができなくなったが、2014年より再開。2019年に引退し、インドへと回航ののち解体。


いしかり(2代)編集

就航:1991年 退役:2011年 総トン数:14257トン 旅客定員:854名

初代「きそ」の準同型船であり、初代「いしかり」の代船として建造された。

内装コンセプトは「カリブの風」で、ネイビーブルー・ベージュ・赤・ピンクの華やかな内装が特徴であった。

1993年にはカプセルホテルタイプの「A寝台」も導入されている。

後述する「クルーズ・シップ・オブ・ザ・イヤー」を13年連続で受賞した栄誉ある船であったが、

2011年に3代目が就航すると引退となり、「GRAND SPRING」へ改名して中国に売船され、

中国の威海港と韓国の光陽港との間を結ぶ国際航路で使用。

その後2016年に韓国に売却されたものの運航のめどが立たないまま2018年にキプロスに売却。

現在はギリシャイタリア間の航路で「ASTERION II」として運航中。


きそ(初代)編集

就航:1987年 退役:2004年 総トン数:13608トン 旅客定員:850名

それまでの船舶はいわゆるクルーズフェリー的な豪華船であったが、これらの船は当時不経済化していたため

「省エネルギー」「省力化」「トラック収容力の拡大」「楽しめる船旅」を基本コンセプトとした効率化船として就航した。

輸送目的だけではなく豪華な雰囲気や気品を備える形で展望通路の設置やギャレーを中心にレストラン・宴会場・バー・スタンドコーナーを直結し動線を徹底的に追求したアイデアも織り込まれ、以後の船舶の基本となった船でもある。

退役後はキプロスを経てギリシャにわたっている。船名も「OCEAN TRAILER」→「HELLENIC VOYAGER」→「NISSOS RODOS」と変わった。


だいせつ編集

就航:1975年 退役:1985年 総トン数:11879トン 旅客定員:905名

初代「いしかり」の僚船として建造。太平洋フェリーにおいては内海造船製の最後の船である。

名古屋~仙台~苫小牧間の航路で使用されたが1985年に引退。

その後東日本フェリー(現在津軽海峡フェリーが運行している航路をかつて手掛けていた)に売却されて初代「ばるな」を名乗ったが、1987年に2代目「ばるな」が就航したため

ギリシャに売却され「Lato」として使用。2015年に退役ののち、2018年にトルコまで回航ののち解体された。


いしかり(初代)編集

就航:1974年 退役:1991年 総トン数:11800トン 旅客定員:905名

名古屋~仙台~苫小牧間を結ぶ北海道航路向けに登場した。

太平洋沿海フェリー時代から通じて、初めて地名由来の船名をつけた船であり、

以後の船舶は寄港地に関係の深い地名をつけていくこととなった。

1991年に退役後はギリシャに売却、「IONIAN SEA」→「EROTOKRITOS」→「EROTOKRITOS T」と改称しながら使われていたが、

老朽化のため2010年に退役となり、インドに回航ののち解体された。


あるごう編集

就航:1973年 総トン数:6949トン 旅客定員:699名

名古屋~大分航路では最後の船舶であり、船名はアルゴ座(現在のりゅうこつ座とも座ほ座)にちなむ。

1980年に大分航路が休止(その後廃止)されたのに伴い余剰となり、関西汽船に売却され「フェリーこがね丸」を名乗ったが、傭船直後に来島海峡で座礁したあげく僚船の「あいぼり丸」と衝突するという不運に見舞われた。

その後修理され、1984年僚船の「フェリーにしき丸」とともに名門大洋フェリーに売却され「ぺがさす」に改称(これと交換する形で関西汽船に「さんふらわあ」「さんふらわあ2」がやってきた)。

1989年に「ニューぺがさす」に置き換えられて引退し、2004年までギリシャで働いたのち、インドに回航され解体となった。


あるなする編集

就航:1973年 総トン数:6884トン 旅客定員:697名

「明るさ」「若さ」「清潔さ」を基調に「ロマンチシズム」を加えたデザインの客室が特徴。

船名はいて座にちなみ、先の2隻に比べると一回り小さい。名古屋~大分航路で使用されたが、

減便に伴って1975年には早くも退役し、日本カーフェリーに売却されて「えびの」と改称、

1996年に「高千穂丸」と入れ替わる格好で引退した。その後はフィリピンで活躍していたそうである。


あるびれお編集

就航:1973年 総トン数:9750トン 旅客定員:925名

後述する「あるかす」の姉妹船として建造された。このため外観・客室設備などが非常によく似ていたという。船名の由来ははくちょう座

1989年に初代「きたかみ」の就航に伴って退役。その後はギリシャ、トルコアルジェリアドバイドバイと渡り歩き、2010年にインドへ回航ののち解体された。


あるかす編集

就航:1972年 総トン数:9800トン 旅客定員:925名

太平洋沿海フェリーの第1船であり、名古屋~大分航路に就航。船名はこぐま座に由来。

以来「あるごう」までは「A」で始まる天体・星座の名前から船名が名づけられてきた。

近海郵船のフェリー「まりも」の同型船であった。

1973年に名古屋~仙台~苫小牧航路へと転配。1987年に初代「きそ」が就航したために退役し、

ギリシャ、トルコ、ドバイと渡り歩いたが2011年にインドに回航され解体となった。


フェリー・オブ・ザ・イヤー編集

太平洋フェリーは海事プレス社が発行している船旅専門誌「クルーズ」上にて、読者投票により毎年選出される「クルーズ・シップ・オブ・ザ・イヤー」のフェリー部門を、第一回から21年連続で受賞している。

1992年から2004年まで二代目いしかりが13年連続受賞した後、2005年にきそが就航すると2005年から2010年まで6年間連続受賞、さらに2011年の3代目いしかり就航から二年連続でいしかりが受賞している。


キャラクター編集

とまこまいコスプレフェスタイメージキャラとして「いしかり」をモチーフとした「まい」と「マコ」というキャラクターが登場した。(参考


テーマソング編集

「波濤を越えて」(Sobre las olas)

作曲:フベンティーノ・ローサス



1884年に作曲されたワルツで、作曲者のフベンティーノ・ローサスはメキシコ出身。

主に出港時に流れる。


「海上のシネマ」

作詞:橘幸江 作曲:藤林由里 歌:盛かおる



主に着岸時に流れる。ただし船内放送ではインストゥルメンタル版を使用。

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