概要
メインイラストの、神奈川県横須賀市久里浜港と千葉県富津市金谷港を結ぶ航路を運航する会社である。
かつては神奈川県と千葉県を結ぶ航路は複数あったものの、東京湾アクアライン開通によりライバルであったマリンエキスプレスは撤退(これをきっかけに後に解体されて宮崎カーフェリーと東京ベイサービスとなる)し、東京湾フェリーも現在の体制に再編された。
京浜急行電鉄との連絡乗車券が発売されて金谷港でも購入できたり、PASMOでも乗船できるなど鉄道連絡船のような雰囲気があるが、あくまで京浜急行電鉄とは資本的にも歴史的にも繋がりがないため(そもそも京急は戦前以来1971年まで竹岡駅への独自の鉄道連絡船を有していた。)、南海フェリーなどのような鉄道連絡船とはみなされない。
歴史
1939年8月に日系企業数社が競合していた、日本と中国を結んでいたいわゆる日華連絡船と呼ばれた航路や治外法権的に中国沿岸や揚子江を運航していた航路を、逓信省の統制管理に置き一元化する目的で東亜海運が設立された。
この企業は東亜海運株式会社法という法令に基づき、日本郵船など11社に上る企業から機材一式を現物出資させて国家の資本金出資によって設立された。
敗戦後の1947年にGHQにより閉鎖機関に指定されたものの、GHQ撤収後に残余財産により第二会社として東亜海運が再建され1960年には現在の航路に参入した。
日華連絡船への再参入はかなわなかったものの神奈川と千葉を結ぶ航路において規模を拡大させ、1962年に現在の社名に改称し、1965年に参入した日本カーフェリー(倒産後シーコムフェリー→マリンエキスプレスと変遷)と長年にわたり競合しながら繁栄していた。
ファンネルマークは初代・東亜海運のそれを引き継いだもので「亜」の字を図案化したもの。
その後は1966年に横浜港~木更津港の航路を開設するも、日本カーフェリーの川崎~木更津航路との競合で1972年には撤退している。
1997年に東京湾アクアラインが開通するとライバル会社だったマリンエキスプレスが川崎~木更津航路の廃止を余儀なくされる。
東京湾フェリーのほうはというとこちらも少なからず減収となったようで、さらに追い討ちをかけるかのように2009年にアクアラインのETC車通行料金値下げなどの影響を受けてしまう。
このためやむなく船の削減を行い現在の二隻体制となり、スリム化して現在に至っている。
※なお、ライバル会社であったマリンエキスプレスは首都圏から完全に撤退したが、残存航路は宮崎カーフェリーに継承され、大阪と宮崎を結ぶ海運会社として健在である。
現在の船舶
2023年現在使用中の船舶は「しらはま丸」(2代目、1989年住友重機械工業浦賀造船所製)と「かなや丸」(3代目、1992年新浜造船所製)の2隻である。両船は外形寸法こそ似ているが、客室レイアウトなどに相違がみられる。
(イラストは現用2隻を擬人化したもの)
かなや丸(3代目)
就航:1992年4月 総トン数:3,580トン 全長:78.81m 全幅:18.00m 旅客定員580名 乗用車110台搭載
「かなや丸」を名乗る船としては3代目にあたり、1982年より就航していた2代目を置き換えた。上部一般客室が広く、後部がラウンジ風のつくりとなっている。このため、後述の「しらはま丸」に備わっていた下部解放デッキは縮小されている。
しらはま丸(2代目)
就航:1989年12月 総トン数:3,351トン 全長:78.81m 全幅:18.00m 旅客定員580名 乗用車110台搭載
「しらはま丸」を名乗る船としては2代目で、1970年就航の初代を置き換えた。上部客室後方は開放型の屋根付きデッキであり「サンセットデッキ」と名付けられている。2016年から2023年まで「チーバくん」のラッピングをつけて運航していたが、2023年のドック入り後はラッピングを剥がされている(再開時期は未定とのこと)。