概要
福岡県出身。本名は小林 善範(読み同じ)。
代表作に『東大一直線』、『おぼっちゃまくん』、『ゴーマニズム宣言』など。
元々は少年向けのハイテンションなギャグ漫画を手がけていたが『ゴーマニズム宣言』以降は青年向けの時事、風刺系の漫画に転向。同時に本人も政治・社会について論客として漫画以外でも語る場面が増え、季刊誌『わしズム』の編集長を務めるなど漫画以外の活動も積極化していった。タレント・文化人としてメディア出演も多い。
経歴
福岡県筑紫郡大野町(現・大野城市)生まれ、同県福岡市出身。
父はマルキストの公務員(郵便局員)、母は真言宗の寺の娘で、理想主義の父と超のつく現実主義者の母との間でたびたび思想の対立が起こっていたという。妹がひとりいる。既婚。
幼少期は喘息持ちの病弱児であった。
中学生の頃に友人と手作りの漫画雑誌「気まぐれ」を作成。以降職業として漫画家を目指すようになり、高校は「暇な時間に漫画が描ける、あまり勉強しなくていい」という理由で福岡市立福岡商業高等学校(現福岡市立福翔高等学校)に進学した。
高校卒業後は上京して石ノ森章太郎に弟子入りしようとしていたが、担任教師から「大学に行って本を読め」と勧められ、福岡大学人文学部フランス語学科に入学する。
大学在学中の1975年に『ああ勉強一直線』が週刊少年ジャンプ第3回赤塚賞の最終選考まで残り(結果は落選)、編集部から声をかけられて誌面デビューを果たす。同作の続編として2回読み切りが掲載された後、1976年に第11回手塚賞佳作(『獣村より』)および第4回赤塚賞佳作(『男のトラ子 女の虎造』)を受賞し、西村繁男副編集長(当時)が福岡まで訪ねてきて連載を持ちかけ、『東大一直線』で正式にデビューを果たす。
1982年に上京。
『東大一直線』→『東大快進撃』で一定の人気を得るが、その後はしばらくヒットが出ず迷走が続き、集英社との専属契約を終了、他誌で活動を始める。
1984年より週刊少年チャンピオンにて『いろはにほう作』の連載を開始(※この頃、スターシステムとして『東大』シリーズのキャラクター多分田吾作を主人公とする短編作品を多く執筆しており、『いろはにほう作』もまた週刊ヤングジャンプ掲載の『布抜呆作伝』を基とする作品である)。大ヒットには至らなかったものの、単行本にして全9巻と『東大一直線』に並ぶ結果となり、ギャグ漫画家としての実績を着実に重ねて行った。
1986年より月刊コロコロコミックにて『おぼっちゃまくん』の連載を開始。同作はアニメ化もされ、小林自身も大ブレイクを果たす。1989年に『おぼっちゃまくん』で第34回小学館漫画賞を受賞(なお、授賞式での審査員からのコメントに腹を立て、宝島に連載していた「おこっちゃまくん」にて痛烈な毒を吐いており、その後の作品にもある程度影響があったと考えられる。詳しくは後述)
1992年よりSPA!にて『ゴーマニズム宣言』を連載開始(※SPA!とはオウム真理教問題で対立し、一時期SAPIOなどに移籍するが、現在は再びSPA!に連載を戻している)
以降は青年向け、小林自身の体験を綴るエッセイ路線に変更。同時に政治的・社会的な発言も積極的に行うようになり、評論家としても活躍している。
2002年に『ゴー宣』からの流れを汲む季刊誌『わしズム』を立ち上げ、責任編集長を務めた。
2024年現在、漫画家としては『ゴー宣』およびそれから派生したエッセイ作品を主軸としており、従来のようなギャグ漫画はほとんど描いていない。
『ゴー宣道場』と称するファンとの交流会も開催しており、東京・大阪・福岡を中心に行われている。
作風
『東大一直線』〜『おぼっちゃまくん』までは、突拍子もないキャラの言動、大量の一発ギャグ(と下ネタ)によるテンポのいい展開が特徴的であった。
本人は「『サザエさん』のような誰でも親しめる漫画を描きたいと思っていたが、デビューしてみると賛否両論が激しい漫画家になってしまった」、「自分の漫画は読者の胸ぐらつかんで無理やり読ませる漫画」と語っている。
『ゴーマニズム宣言』以降の作品は政治や思想が色濃くなったものの、自身の目の手術を受けた時の事を描いた「目の玉日記」は珍しくその要素は少なめで、体験記エッセイとなっている。
画力に関しての評価はあまり高くなく、自ら「ヘタ」と認めている。
特にデビュー当時の絵は素人同然であり、「日本一絵がヘタな漫画家」、「インクのシミ」などと評価されていたといい、デビュー同期で親友の秋本治は「絶対左手で描いていると思った」と語っている。なお、こち亀の記念すべき第1巻の巻末コメントは小林が担当している。
デビュー以降は結構浮き沈み激しい漫画界の荒波に揉まれており、「メジャー誌がダメならマイナー誌ならなんとかなるだろう」としてマイナー誌の場に活動を移していた時期もあったが、マイナー誌でも牽引する作品を描く漫画家がいないと漫画雑誌は成り立たない事(休刊の憂き目)を痛感している。
また、「おぼっちゃまくん」で連載していたコロコロコミックをジャンプ以下と見下していたが、アンケートの結果で当初は評価が低かった事を知り一念発起した結果大ヒット作にのしあげた。
こういった経緯を経てプロの漫画家という意識を持つようになり、後述の小林の思想を別として一漫画家としてのプロの観点での漫画論は的確である(例:漫画家としてのプロ意識が崩れた挙句にアシスタントに逃げられた江川達也への苦言・かつて同じコロコロで掲載していたのむらしんぼの欠点を含めたアドバイス等)。
『月刊コロコロコミック』で連載された「おぼっちゃまくん」が大ヒットするが、その下品さからPTAのひんしゅくを買い、当時の一部のマンガ批評家による評価も芳しくなかった。
小学館漫画大賞を受賞した際にも審査員から酷評されている(小林は『おこっちゃまくん』にて審査員たちの酷評に対し、「こんな漫画に賞を与えた度胸に感謝する」などと辛辣な皮肉を返しており、次回から審査員が総入れ替えになる切っ掛けとなってしまった)。
人物・主張
政治的立場としては保守に属し、大東亜戦争肯定論と反米主義を明確にしているが、完全なる国家主義・国粋主義というわけでもない。
スタンスとしては「わしは『公』を守るのであって、『権力』は守らない、『権力』を守るなんてダサい」としており、反体制的な発言も見られる。
叔母が統一教会の信者だった。その信心のせいで様々な迷惑を被った為、統一教会を含む新興宗教には否定的であり『ゴーマニズム宣言』でオウム真理教に関する内容を取り上げたところ、暗殺されそうになったことがあった(そのため、当時は江川紹子、滝本太郎などに並ぶオウム批判派の先鋒の一人として挙げられていたが破防法の適用を巡る見解の相違などから、2014年現在は他の批判派のメンバーとは不仲の状態にある。なお、小林は適用賛成派だった)。
この経緯から、オウムへの批判は次第に苛烈化の一途をたどり、それを批判しオウム幹部信徒にインタビューを試みた連載陣の宅八郎と衝突。宅は、2人できちんと討論することを持ちかけたが、小林は自身の連載への影響から、これを拒絶、最後まで応じることは無かった。
更に、このインタビュー計画に対する抗議をはねつけた挙句、オウムへの過剰なバッシングにやや批判的だった編集側や他の連載陣との関係も悪化してしまう(一概に小林だけに問題があったわけではなく、宅や編集長を中心に必要以上にオウム寄りだった者が当時の掲載誌に多かったことも大きい。一応、話し合いには同意したことがあったが、当時の担当に同行を求めたところ、命が惜しいという理由で即座に拒否された)。
最終的にはオウムから名誉棄損で告訴されて裁判になり、オウム側の対応不備で完全勝訴した際の編集長の失言を切っ掛けとして最終的に小林は連載の終了を決意し、掲載誌を移籍した(この騒動のせいでゴーマニズム宣言の第1期は最終巻のみ別の会社から出た。その後、件の元掲載誌は小林側の人物に対する洒落にならない嫌がらせをやったことで裁判沙汰となり、敗訴している)。
なお、この時小林は仕事場周辺を不審人物から監視されていた他、飲食店で不審人物による暗殺未遂に遭っていたが、それらはオウムからの差し金であり、仕事場周辺の件はスタッフの警戒で難を逃れ、飲食店での出来事は当時の秘書が勘づいて警戒していた事で難を逃れたが、後者は一つ油断してたら「VXガス」で命を落としていたかもしれなかったと主張する。
時折出身地の博多弁を使い、『ゴーマニズム宣言』においても毎回の決め台詞として「ごーまんかましてよかですか」が登場する。若い頃から「わし」という一人称を使っているが、これは特に方言というわけではない。
評論作品では日本社会に流布している常識を批判する事が多い一方、結構ミーハーであり、歌謡曲やプロレス、女性アイドル、ハリウッド映画が好き(学生時代はフランスの大衆音楽に傾倒していたこともあり、大学ではフランス語・フランス文学を専攻していた)。ゴーマニズム宣言作中でシレっと映画のキャラのコスプレをすることも。
2010年代は重度のAKB48ヲタと化し、推しメンとして大島優子や市川美織、渡辺麻友、姉妹グループNMB48の渡辺美優紀、HKT48の村重杏奈らの名前を挙げている。一方「恋愛禁止」の掟を破ったことから指原莉乃のアンチである。
2013年9月に刊行した『AKB48論』を機に「わしのAKBに関する一切の言論活動は終わる。来年の総選挙のときは、わしはライトな一ファンとして、メディアを通して見ることになろう」と宣言したが、その後もアイドル個人に向けた応援を続けており、2016年になって「48グループに対する興味関心は尽きないものの、CDを大量購入するような活動はしなくなり、『ヲタ』と呼べるほどではない(※ただし、小林はそもそもオタク全般に対して、のめり込み具合を小馬鹿にしつつその熱狂・狂信ぶりに感心するような、屈折した感情を抱いている節がある)」というような趣旨の発言を行っている。
なお「まゆゆ(渡辺麻友)が卒業したら、さすがにわしも一般ファンすら卒業するかもしれない」と語っており、渡辺卒業後の2019年時点では「未だに『私的』に可愛いと思えて、未練が残るメンバーがいる」、公式ライバルである坂道グループには「(AKB48というグループ構造、コミュニティに感じていた)社会性が全然ない」と興味を示していないという。
またミーハーな一面が災いしている部分もあるせいか、以前自身が称賛・共感していた人物でも、後に皇室や原発などをめぐる意見の違いや、些細な思想上の違いを理由に関係が悪化するケースも多い。
『ゴーマニズム宣言』での活躍から、以前は同和問題や薬害エイズなどの市民運動を積極的に支援していたものの、共産党をはじめとする左派団体との関係の在り方や思想上の相違から現在は決裂している。薬害エイズ訴訟にまつわる運動での動向を描いた『脱正義論』では、市民団体が左派団体のせいで急速におかしくなっていく経緯が描かれており、変質した市民団体からの若手メンバー離脱に少なからず貢献していた。
また、『戦争論』が注目されたことを契機に、新しい歴史教科書を作る会の旗揚げにも参加するが、9.11発生を機にアメリカとの外交やテロをめぐる考えで、櫻井よし子氏、渡部昇一氏、藤岡信勝氏などの一部の保守との関係が悪化し脱会している。
『台湾論』の内容が肝心の台湾で熾烈な賛否を招いた余波でブラックリスト入りしたが、理由と経緯が精査されまもなく解除されており、ブラックリスト入りした期間は「世界最短」と当人が発言するほどの短期間で済んだ。(一度、冗談交じりではあろうが違法な手段による台湾への再渡航をにおわせる発言をしている)
(自身も利用することもあるが)インターネットに対しては基本的に否定的なスタンスを示しており、匿名で顔を出さずに思想を語るユーザーの姿勢を厳しく批判することが多い(これはかつて、住所氏名を書かずに自分への抗議の手紙を送りつける連中が非常に多かったため。ゴーマニズム宣言連載初期でもこの件を採り上げるなど、当時はかなり怒っていた。現在は微動だにしない一方で『便所の落書き』と一蹴するなど、嫌悪感は未だ衰えていない)。そのせいか、当初は『嫌韓流』の作者である山野車輪に対しても厳しく批判していた。
このような経緯もあり、自身が思想的に大きな影響を与えたとされている、俗に言うネット右翼にも厳しい態度を示しており、ネット界隈でも賛否の分かれる人物になっている。
同時に堕落論ではスマートフォンなどの批判も行っている。
かつては男尊女卑だったが、現在は女系容認を認め、男尊女卑社会ではいけないと感じており、ゴー宣道場では男女公平を掲げている。
コロナ禍における行動自粛に対して強い疑問を持っており、経済を回す訴えもしている。
一方、漫画内で本人は感染を自覚しながら適切な治療をせず、妻と愛人に感染させたと見られる描写があり、感染者のうち子供や健康な成人の重症化率が低く基礎疾患を持つ高齢者の死亡率が高いことを「寿命だから」と好意的に紹介していたり、ノーマスク推奨、反ワクチン的発言を繰り返していたりと、決して手放しで評価できない部分が多々見受けられる。
以前は消費税増税賛成だったが、藤井聡との対談で消費税廃止に前向きになった。
妻との間には子供がいない。理由として、金銭面の事情に加えて、妻が婦人科の病気により子供が望めない身体となったためだと明かしている。なお、小林は愛人を持っていることを公言しているが、妻は一応寛容な姿勢を示しているとのこと。
作品に関するエピソード
週刊少年サンデーの表紙で御坊茶魔と早乙女らんまの共演を果たした際、『らんま1/2』のファンから抗議のハガキが殺到したらしい。⇒参考画像(外部リンク)
なお、小林はこの件を自身の作品でネタにしている。
コロコロコミックの連載漫画『よしりんのライブ・ア・ライブ』によると、LIVEALIVEは彼がデザインした原始人キャラをゲーム化してくれる会社を募集した事によるものとされ、実際に同作の「原始編」のポゴ達は小林が手掛けている。
信憑性は不明だが、LIVEALIVEのバーチャルコンソール化の速報も小林経由であるため、全くの嘘というわけでもないと見られる。ただし、本人はあまり当時の事を覚えていなかったというが……。⇒そのことを語ったブログ記事
神経質な所があり、自身のデスクの椅子には常にバスタオルを掛けてないと落ち着かないとの事。
ペンの握り方が他の漫画家とは変わっているらしく、漫画家の勲章といわれるペンダコの付き方も独特らしい。
山尾志桜里や山本太郎との関係
元来、小林よしのりは対米自立を訴える反米保守の立場であり、9条改憲を必須の姿勢を示している。
その為、アメリカ追従の親米右派や現行憲法がアメリカ追従だとしらない護憲派を批判している。
その影響で安倍政権批判も一貫して保守の立場として批判している。
そして山尾志桜里とは立憲的改憲を進める上で一定協力しており、立憲執行部が護憲色に変わった現在でも彼女との関わっている。
山尾志桜里とは女系天皇、立憲的改憲の姿勢で連携している。
他にも藤井聡の影響で消費税増税に批判的な思考を持つことになり、その面でも立憲執行部とは対立している。
因みに彼は令和初の参院選(2019年7月21日開票)で比例は山本太郎に投票しており、ゴー宣でも時々、山本太郎の事を取り上げている。