北海道出身の評論家、思想家。
学生時代には新左翼系の活動家だったが、東京大学在学中に保守思想に転向。
横浜国立大学経済学部助教授、東京大学教養学部助教授を歴任するも、東大駒場騒動に巻き込まれて退任。その後は鈴鹿国際大学客員教授、秀明大学教授・学頭を歴任。
一時「新しい歴史教科書をつくる会」に参加していたが、小林よしのりとともに「つくる会」を脱退し。
真性保守を標榜しグローバリズム・近代主義・大衆社会に批判的。近代主義に立脚した左翼思想を批判するとともに、近年の日本の保守の主流である新自由主義(新保守主義)・アメリカ追従姿勢にも否定的な立場を通した。
門下生には佐伯啓思、坂井素思、佐藤光、間宮陽介、宮本光晴らがいた。
2018年1月21日、家族により、自宅近くの多摩川流域内で意識不明の状態で発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。
遺書も見つかっており自殺の可能性が高かったものの、警察により発見時の状況から事件性が疑われたため、捜査を進めたところ、生前西部が出演していたテレビ番組の関係者や門下生の手助けを得て、自殺を遂げていたことが判明した。
生前より、死ぬときは必ず自殺で生涯を終えることを切望していたが、特に晩年は、妻との死別、長年の闘病生活などで、心身共に不調の状態が続いており、自殺願望を口にする回数が増えていたが、病気の後遺症で手が思うように動かず、自力での自殺ができなかったという。
手助けをした門下生は共に自殺幇助罪で逮捕され、最終的に実刑判決を受けたこともあり、その死のあり方については賛否両論に分かれ、評論界隈や読者からは、その死が悼まれた。