概要
JRA所属の元騎手で、栗東トレーニングセンター所属の元調教師。
騎手としては6401戦680勝。
調教師としては重賞35勝。
来歴
1953年3月5日、五條市(京都府)の一般家庭に誕生。中学生の時に京都競馬場を訪れたの機に騎手を志す。
1968年、梶与三男調教師(京都競馬場)に騎手候補生として弟子入り。
1972年、騎手免許を取得。梶与三男厩舎から騎手としてデビューし12勝を挙げた。
1973年、阪神競馬場で競走中に落馬し意識不明の重体になるが命を取り留める。
1980年、小倉競馬場で44勝を挙げ、「小倉の安田」と呼ばれた。自身もこの異名に誇りを抱いて「GIがあっても小倉へ行くようなスタンス」で小倉を中心に活躍したが、そのスタンス故に八大競走やGⅠには縁が無かった。
1990年、トウカイテイオーのデビュー戦(中京競馬場)の騎手を務めた。
1991年、トウカイテイオーで皐月賞を制し自身初のGⅠ勝利を挙げた。東京優駿も制したがトウカイテイオーは骨折で長期休養に入り、復帰後は岡部幸雄に乗り替わった。
1994年、調教師試験に合格し騎手を引退。
1995年、栗東トレーニングセンターで厩舎を開業。
2000年、シルヴァコクピットがきさらぎ賞を制し、管理馬の重賞初勝利。
2010年、トランセンドがジャパンカップダートを制し、管理馬のGⅠ初勝利。
2011年、トランセンドがフェブラリーステークス、マイルチャンピオンシップ南部杯とジャパンカップダート、グレープブランデーがジャパンダートダービー、カレンチャンがスプリンターズステークスを制し、管理馬が年間でGⅠ5勝。
2012年、カレンチャンが高松宮記念、ロードカナロアがスプリンターズステークス、香港スプリントを制した。
2013年、ロードカナロアが高松宮記念、安田記念、スプリンターズステークス、香港スプリントを制し、年間でGⅠ4勝。
2019年、ファッショニスタがJBCレディスクラシックを制した。
2020年、ダノンスマッシュが香港スプリント、ダノンザキッドがホープフルステークスを制した。
2021年、ダノンスマッシュが高松宮記念、レッドルゼルがJBCスプリントを制した。
2022年、ダノンスコーピオンがNHKマイルカップを制した。
2024年3月、定年により引退。定年時点で管理していた馬は、調教師に転向した福永祐一や後述の息子・翔伍らに引き継がれた。定年後は東京スポーツにてGIレースの予想・評論を担当。
関連タグ
関連人物
安田翔伍:次男。安田厩舎厩務員だったが調教師試験に合格し、2018年3月1日より自らの厩舎を開業。
高柳大輔:調教師。助手時代に安田厩舎に所属したのち、安田翔厩舎と同時に厩舎を開業。
川田将雅:弟子。デビューから1年ほど安田厩舎に所属していた。
騎手として騎乗した馬
調教師としての管理馬
※太字は顕彰馬