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来歴

1982年7月8日、栗東市で誕生。安田隆行調教師の次男。兄・景一朗は安田隆行厩舎の調教助手である。11歳の時に調教師に転身する父の最終騎乗を観るべく競馬場に駆け付け、そこで競馬の世界に足を踏み入れることを決意した。

1998年、中学校を卒業してJR競馬学校を受験するが不合格となり、高校在学中に体が大きくなってしまい騎手の道は断念した。その後は高校を中退して父の紹介でノースヒルズで働き、アイルランドでも5ヶ月研修を行った。

1999年、アイルランドから帰国してノーザンファーム空港牧場で働く。

2002年10月、競馬学校厩務員課程に入学。

2003年1月、父の厩舎で厩務員となる。2月、調教助手となる。フィフティーワナーカレンチャンロードカナロアといった素質馬を担当した。

当初は調教師になることは考えていなかったが、2012年にロードカナロアが香港スプリントで勝つのを見て「調教師になってこういう檜舞台に管理馬を送り込みたい」と思うようになり、調教師を志すようになる。

2016年、3度目の挑戦で調教師試験に合格。社台ファームで研修を積んだ。

2018年3月1日、栗東に自らの厩舎を開業。3月4日、父の厩舎から譲り受けたオメガパフュームで初勝利。9月29日、オメガパフュームがシリウスステークスを制し重賞初勝利。12月29日、オメガパフュームが東京大賞典を制し、GⅠ初勝利。

2024年05月26日、ダノンデサイル東京優駿を制し、調教師としての最年少記録となった。父は騎手時代にトウカイテイオーで勝っており、変則的ながら親子でのダービー制覇となった。

2018年開業(同期)のJRA所属調教師

美浦田中博康 林徹 和田勇介

栗東高柳大輔 武幸四郎 武英智

余談

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調教師 JRA

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  • カレンチャンのことを「オレの女」にしてしまう話

    もう一回カレンチャンを書きたいと思っていたんですが、そういえばカレンチャンといえば去年安田翔伍調教師がオレの女とか言ってたのを思い出して書きました。カレンチャンの調教師自体は翔伍師のおやっさんの隆行師だったのですが、調教助手をその時されていたんですよね。ある意味主戦の池添謙一騎手よりもその背を知る存在と言えるでしょう。カレンチャンのいいところを聞かれてすぐ10個出てくるし、最後なんて「僕のガールフレンド」とも言っているわけですからね。この前の謙聞録で「僕の結婚相手はカレンチャンなので」って池添謙一騎手が言った時もその後ツイッターで「背骨押したろか(背中じゃなくて)」って対抗心むき出し。(この時池添騎手は落馬骨折しています)これからもカレンチャンと池添騎手、そして翔伍師の三角関係に目が離せません。 中山大障害の入場券申し込みました。有馬記念のイクイノックスやタイトルホルダーを見に行きたい気持ちは本当ですが、個人的にはラストランになるオジュウチョウサンの方を応援したいと思ったのです。勿論引退式まで見届けます。オジュウチョウサンが気付いてきた障害記録の数々や歴史は偉大なものばかり。本当にお疲れさまでした。ラストラン、見事有終の美を飾ってほしい!

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