プロフィール
生年月日 | 1985年12月5日 |
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出身地 | 埼玉県新座市 |
開業年 | 2018年 |
所属 | 美浦トレーニングセンター |
騎手時代の所属厩舎 | 高橋祥泰厩舎(2006年~2009年、2010年~2011年)⇒フリー(2009年~2010年、2011年~引退) |
血液型 | B型 |
身長 | 160.5cm |
体重 | 50kg |
愛称 | タナパク |
騎手時代の通算勝利数 | 129勝(JRA)、4勝(NAR) |
概要
騎手としてデビュー。同期には北村友一、田中克典(現調教師)らがいる。
2009年にクィーンスプマンテでエリザベス女王杯を優勝しGⅠ初制覇。
その後海外研修を経て調教師に転身、2018年に美浦で開業。
2023年にレモンポップでフェブラリーステークスを優勝し、調教師としてGⅠ初制覇を達成した。
経歴
競馬業界とは無縁の家庭に生まれ育つも、中学生の頃よりテレビで競馬を見るようになり、アグネスフライトと河内洋が優勝した日本ダービーに感銘を受け、騎手を志す。
中学3年生になってから乗馬を始め、競馬学校への入学を目指すも出願に間に合わず、一旦高校に進学。2年間の浪人を経て、22期生として競馬学校に入学する。
騎手時代
2006年に中京競馬場で騎手デビューするも、この年はわずか4勝に留まった。
翌年からは徐々に勝ち鞍を伸ばし、2009年より高橋の助言を受けてフリーに転向。
同年にはシルクメビウスでユニコーンステークスを制覇し、北村友一に次いで重賞勝利を果たす。更に同年のエリザベス女王杯では11番人気のクィーンスプマンテに騎乗し、23歳でを勝ち、22期生で最初にGⅠ初制覇を達成した。
翌年2月は高橋厩舎に復帰するも勝ち鞍に恵まれず、2011年に再度高橋厩舎を離れて、武者修行のため、4月12日から同年末まではフランスに遠征。凱旋門賞に参戦したヒルノダムールの調教も手伝っていた。
帰国後は騎乗数が減少したこともあって勝ち鞍が1桁台となるも、トレセンの様々な厩舎で研修を重ねて度々フランス、イギリス、アイルランドなどにも遠征した。この過程で「自分は乗り役よりも調教師のほうが向いているのかもしれない。調教師になったほうが今まで海外遠征で学んだことを馬作りに活かせるのではないか」と考え、調教師への転向を決意する。
2016年12月8日、難関とされる調教師試験を一発で合格。騎手免許と調教師免許は同時に所有できない(調騎分離)という規則に従い、騎手免許の更新期限が来る2017年2月末を以て騎手として引退した。
調教師時代
2018年2月28日までは技術調教師として研鑽を重ね、2018年3月より開業。
同年3月25日には、エジステンツァで調教師として初勝利を掲げる。
開業から4年目である2022年には、平成以降の最年少記録となる通算100勝を達成。
翌2023年、レモンポップで根岸ステークスを勝利し、調教師として重賞初制覇。
更には同馬で翌月開催のフェブラリーステークスを制し、GⅠ初制覇も成し遂げた。
同年にはローシャムパーク・レーベンスティールと更に2頭の重賞馬も輩出。
ファンや関係者からは更なる飛躍が期待される1年となった。
人物
- 騎手時代は柴田善臣騎手を目標としていた。
- キャプテン渡辺からのインタビューにおいて、「騎手と調教師では世界が違うのでは?」との質問に対しては「自分の中ではあまりジョッキーのときと感覚的には変わらないですね。馬を仕上げてレースの舞台には立たないけれども、やっていることは同じで良いレースを提供したいという思いを持っています。この世界に入るきっかけは、レースを見て感動して、でしたから。同じように、いいレースをするために馬づくりをして、馬主さんやファンに感動や活力を与えて社会に貢献していけたらと思っています。」と語っている。
- ヒルノダムールの主戦であった藤田伸二は自身のYouTubeチャンネルにおいて「アイツは騎手の頃から馬に対する見方が違っていたね」と評している。