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概要編集

埼玉県南部にある市でほぼ全域が武蔵野台地に位置する。

東京に隣接し、都内のベットタウンとして構成されている。

朝霞地区4市(新座市・志木市朝霞市和光市)の中では人口が最も多く、埼玉県内だけでも熊谷市に次ぐ10位となっている。

隣接自治体は埼玉県内だけで、朝霞市、志木市、所沢市入間郡三芳町

東京都を含めると練馬区西東京市東久留米市清瀬市なども該当する。特に練馬区は、市内に飛び地が存在している(西大泉町)。


鉄道事情について編集

市内には西武池袋線東武東上線JR東日本武蔵野線が通っているが、まともに市内を通っているのは新座駅のみ。その新座駅も駅周辺は商業施設に乏しく、東京都心部に出るのは他市の駅を出て利用する場合が多い。


池袋線には市内に駅が1つもなく、南部の住民は主に東京都の清瀬駅保谷駅ひばりヶ丘駅などを利用して通勤する必要がある

東武東上線は一応、志木駅は新座市に該当しているものの、志木市との境にあり、それ以外の北部の住民は朝霞台駅などを利用して、都内を目指す必要がある。

JR武蔵野線は事実上、市内唯一の駅である新座駅を利用するが、武蔵野線自体は都内に出るには乗り換えて行くので都内通勤する人には使用されないなど、とにかく都内に出るには市外の駅を利用する必要がある。


この為、都営大江戸線に新座中央駅(仮)などの東所沢駅延伸を活用して市内中部に駅を作る計画があるが、西武池袋線及び東上線との競合ができる事、都営地下鉄自体の経営の問題で着工されていない。


道路事情編集

市内には高速道路は関越自動車道があり、ICはないが新座料金所がある。

国道は国道254号が通っている。


施設編集


名前の由来編集

  • 武蔵国新座郡(にいくら/にひくら)に由来。おおむね現在の和光市・朝霞市・新座市の全域と志木市の大半、戸田市重瀬、練馬区大泉地区の大半、西東京市の旧保谷市域に相当する。太平宝字2年(758年)、平城京の朝廷は、新羅国の僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵国に移し、新羅郡を置いた。平安時代に字を新座郡(しらぎぐん、しらぎのこおり)と改めてから、その字に引きずられてにいくらの読みが正式となったと考えられる。志楽・志楽木・志羅木(しらぎ)、志木(しき)、新倉(にいくら)などとも表記し、江戸時代には「にいざ」と読まれたこともあったようで、現在の市名に繋がっている。
  • 現在の「新座市」は昭和30年に北足立郡大和田町と片山村が合併して誕生。市名は明治29年までの旧郡名に由来した。
  • 江戸時代以前にはこの地域には新座郡大和田村・中野村・片山村があった。
  • 江戸時代には大和田村と中野村は芝山氏が知行したためか、明治初年までには中野村は大和田村の一部になっている。
  • 江戸時代初期に野火止新田が開拓され、野火止村・北野村・菅沢村・西堀村ができた。明治22年の全国の町村制施行時に大和田村へ合併された。
  • 片山村は江戸時代中期までに野寺村・中沢村・十二天村・下中沢村・下片山村・石神村・原ケ谷戸村・辻村・堀ノ内村・栗原村の10ヶ村に分かれた。片山10ヶ村は明治8年に合併し片山村となった。

関連項目編集

入間 多摩

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