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経歴

1997年(平成9年)8月9日生まれ。

茨城県守谷市出身。

2013年に競馬学校に入学し、2016年に騎手免許を取得。

美浦根本康広厩舎に所属。

久々の女性騎手誕生ということでメディアへの露出も多い。

デビュー以後着実に勝利を重ね、2018年に通算31勝を挙げたことで、GⅠレースへの出走が可能となった。

これまでの女性騎手は誰もGⅠに出たことがないため、藤田が初の事例となる。

2019年2月17日フェブラリーステークスにて、コパノキッキング(馬主Dr.コパ)でGⅠ初挑戦。結果は5着だった。

2019年10月2日大井競馬場で開催された東京盃(JpnⅡ)をコパノキッキングで勝利し、重賞初勝利を飾った。

2019年第3回新潟競馬で開催リーディングジョッキー(9勝)及び新潟競馬年間リーディングジョッキー(20勝)を女性騎手としてはじめて獲得した。

2019年11月4日浦和競馬場で開催されたJBCスプリント(JpnⅠ)は、コパノキッキングで挑むもゴール直前でブルドッグボスに抜かされ惜しくも2着。GⅠ/JpnⅠ初勝利はならなかった。

2019年12月8日中山競馬場で開催されたカペラステークス(GⅢ)でコパノキッキングに騎乗し、4番手から一気に抜いて1着でゴールイン。史上初のJRA所属女性騎手によるJRA重賞勝利を達成した。なお、この勝利は自身通算99勝目である。

(女性騎手のJRA重賞勝利そのものは2002年の中山大障害で短期免許で騎乗したロシェル・ロケット騎手が達成している)

2024年7月にJRA職員の一般男性との結婚を発表した。結婚後も騎手として引き続き活動していくことを宣言した。

突然の引退

同年10月10日、2023年4月頃までに複数回、調整ルーム内に通信機器(スマホ)を持ち込んだことが判明し、裁定委員会の議定があるまでの騎乗停止処分となった。

その結果、議定を待たず藤田はケジメをつけるためJRAに騎手免許取消申請を提出。それをJRAが受理し公表したことで、約8年かけて続けてきた騎手人生を自らの手で幕を下ろすこととなった

しかし、昨年5月のJRAによる若手騎手違反者6人への一斉処分の際に藤田が自ら違反を申告したことで彼女に厳重注意処分を下しており、ファンから二重処分を指摘する声もある。

JRA側は当初「XやYoutubeを使用していた」と申告を受けていたため厳重注意に留めていたが、後の調査で外部との連絡履歴の存在が発覚したため、他者との通信を行っていたことを認めたという。また本人は「(違反をした日)以降は開催日に調整ルーム居室内に携帯は持ち込んでいない」と話していたが、現時点で事案の数は調査できていない。JRA側は処分理由について「当時の聴き取り調査では、他者との通信はしていないと言っていたが本当はそういうことがあった。虚偽の申告をしていたことが大きかった。」と説明し、二重処分を否定している。

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藤田菜七子
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