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プロフィール


生没年1997.5.31-(25歳)
出身地東京都
デビュー2016年(32期・7年目)
所属栗東・矢作芳人厩舎

概要

日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンター所属の男性騎手。2016年にデビューして以降、矢作芳人厩舎に所属している。父に大井競馬所属の元騎手・坂井英光(現・調教師)を持つ。

競馬学校騎手課程32期生。同期には荻野極菊沢一樹藤田菜七子などがいる。


経歴

デビュー前

1997年5月31日、東京都出身。競馬一家に生まれたこともあり、幼いころから南関競馬に親しむ環境で過ごす。

幼稚園頃から競馬にはまっており、そのディープさたるや送迎バスのなかで、「的場文男は勝つけど、お父さんは勝たない」「戸崎圭太はいつも勝つから嫌い」などと話し、周りをポカンとさせるほどであった。

小学生になると、ヒーローもののかわりといわんばかりに地方競馬中継を見る生活。見ているうちに馬の成績と血統を覚えていき、いわく南関東に所属しているほぼ全頭の競走馬の成績と血統をそらんじられたとのこと(参考)。


2013年に競馬学校に入学。競馬学校時代から、同じく大井にルーツをおく矢作芳人調教師を師匠とし、矢作師いわく「“ボロクソ”に説教をし、何度も泣いている」というほどの厳しい教育を受けながら育つ。札幌競馬場では、福永祐一の付き人となって経験を重ねた。2016年卒業。


デビュー後・海外修行

2016年3月5日の阪神競馬第3競走で、ビアンカリボンに騎乗しデビュー(14着)。同年4月2日の阪神競馬第4競走でグランプリアクセルで自身初勝利を挙げた。落馬負傷での長期離脱がありながらも25勝をあげ、栗東の新人としては最多勝を挙げた。

翌2017年からは矢作師のすすめを受けてオーストラリアに修行。語学の壁に苦しみ、調教・レースに加えて語学学校にも通う生活を続けながら、翌2018年3月に現地で初勝利を挙げた。一時帰国を経て同年10月20日に豪・コーフィールド競馬場のコーフィールドカップで、自身初のGⅠ騎乗を果たした。


帰国後

2018年に帰国。翌2019年に2019年にフィリーズレビューをノーワンで同着で初重賞制覇。同年には重賞2勝を挙げた。

2020年には厩舎所属のサトノインプレッサに騎乗し、9番人気の伏兵評価ながら、4着に入線。同年7月のジャパンダートダービーでは、低評価を覆して師匠が管理するダノンファラオで優勝し、G1級レース初勝利を飾った。


2021年では海外出走の多い矢作師の影響のもと、サウジアラビアドバイなど海外を次々と転戦。9月にはエントシャイデンに騎乗するためフランスに渡航し、一般戦ながら初勝利もあげた。

そして2022年。ゴドルフィンマイル(UAE)を自厩舎のバスラットレオンで制し、海外重賞を自身で初めて勝利した。同年10月には前走の紫苑ステークスを制したスタニングローズとともに、秋華賞を制覇し、中央GⅠレースを初めて制すると、その勢いのまま同年12月の朝日杯フューチュリティステークスドルチェモア)を制した。


年が明けた2023年もその勢いは変わらず、2月のフェブラリーステークスレモンポップで制すと、以後同馬とのコンビでドバイゴールデンシャヒーンに出走。ここは残念ながら10着と大敗してしまうが、秋もコンビを継続してマイルチャンピオンシップ南部杯チャンピオンズカップを連勝。その他にも同年12月には初の年間100勝を達成した他、自厩舎の馬で無敗のJBC2歳優駿フォーエバーヤング全日本2歳優駿を制し、同馬を無敗のJpn1馬に導いた。


関係人物

父が所属する大井に所属経験のある騎手。戸崎は大井時代、当時騎手だった英光師とライバルだった。


盟友。「こんなに仲良しになれた騎手仲間はいない」と話すほどの仲良しで、公私ともに深い親交がある。


同期。32期では中央G1一番乗りを果たした(2022年スプリンターズSジャンダルム号にて)。その2週後に坂井もG1初勝利を果たす。


矢作厩舎の妹弟子。


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