データ
概要
生い立ち
母バスラットアマルは持込馬で、キズナ産駒の本馬が初仔である。叔母(母の半姉)にシリアスアティテュード、従兄(シリアスアティテュードの仔)にスティッフェリオがいる。
競走馬時代
2-3歳
矢作芳人厩舎に配属され、2歳7月デビュー。初戦で勝ち上がり、2戦目の札幌2歳ステークスで3着に入る。
3歳初戦のシンザン記念で3着後、自己条件に戻して勝ち上がるとニュージーランドトロフィーで重賞初制覇。NHKマイルカップはスタートで躓いて落馬し競走中止。日本ダービーへ出走後は大敗が続く。
4-5歳
4歳は京都金杯から始動後、ドバイワールドカップデーのゴドルフィンマイルに遠征し逃げ切って久々の勝利(ダート初勝利)、重賞2勝目。その後はイギリスのサセックスステークス→フランスのジャックルマロワ賞遠征を経験してバーイードらと対戦。帰国後は前年も出走した武蔵野ステークス(3着)を経て年末の阪神カップでキャリア初の7ハロン戦を経験(4着)。
5歳初戦はサウジアラビアの1351ターフスプリントで逃げ切って重賞3勝目を挙げる(海外芝ダート両重賞勝利達成)。秋はコリアスプリントへも遠征する(3着)。
6歳
1351ターフスプリントから始動。この頃になると毎回鞍上が変わっていく。
11月JBCスプリント(8着)を最後に引退。
余談
- 1勝クラスでの勝利は所属する矢作厩舎の当時新人だった古川奈穂騎手の騎乗で同騎手の初勝利となった。同騎手はラストランの6歳時JBCスプリントでも騎乗している。