データ
概要
生い立ち
母ウィーミスフランキーは米国で競走生活を送り、デルマーデビュータントSなどGⅠ2勝を挙げて、引退繁殖入り後輸入。本馬は6番仔でノーザンファーム生まれだが、2歳時に母がセリで猪熊広次氏(バローズ冠)に売却され、日高へ移っている。
当歳時のセレクトセールに出され、6800万円で早野オーナーが購入。
競走馬時代
2-3歳
デビューは6月4週と早く、阪神の芝1400mでデビュー。6番人気ながら2着に入る。この時、後の芝スプリント重賞馬2頭(アグリとママコチャ)に先着。
3戦目でダートに替わり、ここで初勝利。
1勝クラスは2戦で突破。この時に後の主戦となる池添謙一騎手と初タッグ。芝のアーリントンCで6着に敗れた後、夏は休養に充てて秋のダート2勝クラスで復帰し、勝ち上がる。11月に1戦して3歳シーズンを終える。
4歳
4歳シーズンは1月の遠江Sで始動し、ここでオープン入り。春のオープン2戦目、京都の京都グランドオープンでオープン初勝利。続けて夏のプロキオンSに駒を進め、リメイクを倒し重賞初勝利。秋の東京盃で重賞2勝目を挙げた後、骨折が判明し休養。
5歳
骨折明けとなる5歳シーズンはフェブラリーステークスで始動することとなった。
そして迎えたフェブラリーステークス時点の馬体重は592kgであり、仮に勝利した場合JRAGⅠ史上最高馬体重勝利記録更新もあり得た。
レースはスタートで若干躓く節もありつつも好スタートを切ると、ハナを取りきって逃げる態勢へ。自分の形に持ち込んだところまでは良かったが、池添騎手曰く「返し馬からゲート裏にかけて、いつもよりカリカリしていた」というところも影響したのか、最初の3ハロンが33秒9という実況アナも驚くハイペースの入りとなってしまう。ハイペース逃げが身上とはいえ距離延長でこれではさすがに保たず、残り200mまでは粘ったものの最後1ハロンで力尽きて9着。とはいえこのハイペースで人気の先行勢が総崩れ、11番人気のペプチドナイルが勝ち2着に5番人気ガイアフォース、3着に13番人気セキフウが入り3連単153万500円という大波乱を演出することになった。
この後は予定通りドバイゴールデンシャヒーンへとイグナイターと共に遠征。ここでは主戦の池添が大阪杯に先約があったため、条件馬時代に2度騎乗していたC.デムーロ騎手とコンビ。逃げて2着に入る。
帰国休養後は夏場のクラスターカップから始動し、ここを逃げ切って重賞3勝目。このときは順延の影響で自身初の600kg超えとなる607kgだった。次走は米BCスプリント。
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