概要
主な勝ち鞍は日経新春杯(2010年)、京都大賞典(2010年)など。
半弟にメイショウエバモアがいる。
プロフィール
略歴
2005年
3月30日、北海道浦河町の三嶋牧場で誕生。
父・フレンチデピュティはアメリカで種牡馬としてクロフネ等を輩出し、社台グループに輸入され日本でも好成績をおさめていた。母・パパゴはアイルランド生産でレゼルヴォワール賞(フランスGⅢ)を勝っている。母父・サドラーズウェルズはノーザンダンサーの代表的な後継種牡馬である。
勝気な仔馬で、牧場では同い歳の牡馬たちを蹴散らしていた。
2007年
松本好雄が馬主になり、栗東の池添兼雄厩舎に入厩。
2008年
1月26日、池添謙一騎手を鞍上に京都競馬場の新馬戦(芝1600m)でデビュー。良い所なくライムキャンディの12着に敗れた。
2月24日、京都競馬場の未勝利戦(ダート1200m)に出走し初勝利。
3月16日、四位洋文騎手に乗り替わって阪神競馬場の条件戦(500万下・ダート1200m)に出走し、ヤサシイキモチの6着に敗れた。
4月5日、池添謙一騎手に乗り替わって阪神競馬場の条件戦(500万下・ダート1400m)に出走し、リーガルスキームの2着に敗れた。
4月27日、小野次郎騎手に乗り替わってフローラステークス(JpnⅡ)に出走し、レッドアゲートの4着に敗れた。
5月11日、石橋守騎手に乗り替わって矢車賞(500万下・芝1800m)に出走し1着。芝路線を進む方針が固まった。優駿牝馬に出走登録するが賞金不足で除外。
5月31日、武豊騎手に乗り替わって白百合ステークス(オープン)に出走し、ヤマニンキングリーの6着に敗れた。
8月3日、四位洋文騎手に乗り替わってかもめ島特別(1000万下)に出走し1着。
8月17日、クイーンステークス(JpnⅢ)に出走し、ヤマニンメルベイユの7着に敗れた。
9月21日、ローズステークス(JpnⅡ)に出走し、マイネレーツェルの5着に敗れた。
10月19日、幸英明騎手に乗り替わって秋華賞(JpnⅠ)に出走し、ブラックエンブレムの11着に敗れた。
2009年
2月15日、四位洋文騎手に乗り替わって飛鳥ステークス(1600万下)に出走し、タガノエルシコの6着に敗れた。
2月22日、田中勝春騎手に乗り替わって初音ステークス(1600万下)に出走し、ダンスオールナイトの3着に敗れた。
3月22日、池添謙一騎手に乗り替わって但馬ステークス(1600万下)に出走し、イケトップガンの4着に敗れた。
4月5日、難波ステークス(1600万下)に出走し、ブーケフレグランスの11着に敗れた。
5月2日、田中勝春騎手に乗り替わって府中ステークス(1600万下)に出走し、ニシノブルームーンの3着に敗れた。
5月24日、池添謙一騎手に乗り替わってパールステークス(1600万下)に出走し、ウェディングフジコの5着に敗れた。1000万下に降級。
8月1日、大倉山特別(1000万下)に出走し、ミクロコスモスの3着に敗れた。
8月15日、支笏湖特別(1000万下)に出走し、マイネルアンサーの7着に敗れた。
9月5日、蛯名正義騎手に乗り替わって弥彦特別(1000万下)に出走し1着。11ヶ月ぶりの勝利で1600万下に昇級。
9月21日、西宮ステークス(1600万下)に出走し、ナムラクレセントの3着に敗れた。
10月24日、武豊騎手に乗り替わって古都ステークス(1600万下)に出走し1着。オープン馬となった。
11月15日、池添謙一騎手に乗り替わってエリザベス女王杯(GⅠ)に出走し、クィーンスプマンテの5着に敗れた。
12月19日、愛知杯(GⅢ)に出走し、リトルアマポーラの3着に敗れた。
2010年
1月17日、日経新春杯(GⅡ)に出走し1着。後方からの直線一気で重賞初勝利。ウインズ静内で観戦していた三嶋牧場のスタッフ達は、以前から「メイショウさんの馬で重賞を」と願っていたため感涙に咽んだ。
3月21日、阪神大賞典(GⅡ)に出走し、トウカイトリックの3着に敗れた。
5月2日、福永祐一騎手に乗り替わって天皇賞(春)(GⅠ)に出走。トーセンクラウンの斜行で不利を受け、ジャガーメイルの10着に敗れた。
6月27日、幸英明騎手に乗り替わって宝塚記念(GⅠ)に出走し、ナカヤマフェスタの6着に敗れた。
8月29日、池添謙一騎手に乗り替わって新潟記念(GⅢ)に出走し、ナリタクリスタルの4着に敗れた。
10月10日、京都大賞典(GⅡ)に出走し、後方からの直線一気で1着。
11月14日、エリザベス女王杯に出走。最終直線でアパパネ以下を一気に抜き去るが、英愛オークス馬スノーフェアリーの末脚の前に2着に敗れた。
11月28日、ジャパンカップ(GⅠ)に出走し、ローズキングダムの6着に敗れた。
12月26日、蛯名正義騎手に乗り替わって有馬記念(GⅠ)に出走し、ヴィクトワールピサの12着に敗れた。
2011年
2月13日、池添謙一騎手に乗り替わって京都記念(GⅡ)に出走し、トゥザグローリーの2着に敗れた。
4月、天皇賞(春)を目標に調教を積んでいたが、歩様の乱れにより回避。長期の休養に入る。
10月30日、天皇賞(秋)(GⅠ)に出走し、競走中に右前繋靭帯不全断裂を発症。異変に気付いた池添騎手が4コーナーで止め、競走中止。引退となる。
2012年
三嶋牧場に帰り繁殖牝馬となる。
2019年
2021年
8月2日、メラノーマのため死亡した(16歳)。
2022年
4番仔のメイショウミモザが阪神牝馬ステークス(GⅡ)を勝利。