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プロフィール編集

性別
毛色黒鹿毛
生没年2005年1月22日-(17歳)
ウォーエンブレム
ヴァンドノワール
母父ヘクタープロテクター
生涯成績10戦4勝
馬主田原邦男
調教師小島茂之美浦

米二冠馬ウォーエンブレム産駒。

2歳年上の半姉ロイヤールハント(フサイチコンコルド産駒)は馬主の田原氏にとって初の所有馬だったが、2戦目のレース中に心房細動で死去。

そこで田原氏と親しい小島調教師がノーザンファームに直談判し、本馬を譲ってもらった。

母ヴァンドノワール(フランス語で「黒ワイン」)のノワールからの「ブラック」+父名の一部「エンブレム」が馬名の由来だが、「姉を悼む黒い喪章」という意味も含まれている。

トレードマークは緑のシャドーロール


現役時代編集

2007年8月12日の新馬戦でデビュー。8着に敗れたが、この時の勝ち馬は同年のラジオNIKKEI杯2歳ステークス勝ち馬サブジェクトだった他、4着のラッシュストリートは後の佐賀記念を制している。

2戦目で勝ち上がるが、阪神ジュベナイルフィリーズは登録除外の憂き目に。同じ週の葉牡丹賞に出走し3着。

2008年、きんせんか賞とフラワーカップを勝利。後者はオーナー・調教師共に重賞初制覇となった。

初Jpn1挑戦となった桜花賞はローテの関係もあり追い切りなしで挑んだのが災いしてか出遅れて10着と見せ場なし。オークスは良いスタートを切れたが4着。

秋初戦はローズステークス。4番人気だったが重馬場に脚を取られ15着と大敗してしまう。

秋華賞では前走の大敗が響き11番人気。しかし最内で脚を温存し見事差し切り勝ち、3連単1098万2020円(当時のJRA重賞史上最高配当記録、現在は2位)の大波乱を呼び込んだ。

翌年2009年はドバイに遠征。ケープヴェルディステークスに向けて調整されていたが鼻出血を発症、バランシーンステークスに変更したがレース中に鼻出血になってしまい最下位の9着になってしまう。

帰国後はクイーンステークスを目標としていたが、直前追い切りで鼻出血が再発したため引退した。


引退後編集

繁殖入り後、ほとんどの産駒が勝ち上がっているというなかなかの成績を残している。

2022年時点、産駒からの重賞馬はブライトエンブレム(2014年札幌2歳ステークス)とウィクトーリア(2019年フローラステークス)の2頭。


関連記事編集

競走馬 08世代

レジネッタ トールポピー:同年の牝馬三冠を分け合った馬。それぞれ3連単は700万2920円、44万360円の荒れっぷりだった。

オニャンコポン:同じく田原オーナー・小島調教師の馬

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08世代 ぜろはちせだい

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