COIN機とは
COINとはCOunter INsurgencyの略で、これは「対暴動」の意味である。
これは1954年~1964年のアルジェリア戦争で、フランスが各種小型機を改造して攻撃機として使ったことが始まりである。中にはフーガ「マジステール」練習機を武装した事もあり、練習機の項の「攻撃機として使われる場合もある」という記述はこのような例となっている。
専用に開発された機体が無いこともないが、多くは既存の練習機や連絡機、輸送機を改造して安上がりに作られている。中にはクロアチア独立戦争にて農業機に爆弾(砲弾改造)を搭載したような例もあった。
一般にレーダーや照準コンピュータを搭載しておらず、ミサイルなどの誘導兵器は当然使用不可である。機銃や爆弾、ロケット弾などの兵器を使い、目視に頼って攻撃する。このため視界の良い事は必須である。また、地上からの通報に従って攻撃する場合も想定されるため、無線機も陸空軍の両方に対応したものを使っている。
COIN機が活躍するのは基本的に中小国における対ゲリラ戦や麻薬密輸の取り締まりであり、アメリカのような大国では、実際に攻撃機として使われる事は少なく、もっぱらFAC(前線空中管制)機として使われた。
ベトナム戦争とCOIN機
ベトナム戦争では当初F-100Fが使われていたが、この機はジェット戦闘機なので『飛行速度が高速すぎて、地上の様子が全然わからない』として不評だった。
この対策として、セスナO-1『バードドッグ』(元セスナ170)が使われた。
もちろん民間の自家用機である。これに目標標示用の発煙ロケット弾を4発装備して、FAC機として活躍した。しかし被弾に弱く、さらに速度も不足とあって損害は多かった。パイロット各員にはM16や手榴弾といった個人用装備が支給され、必要に応じて射撃する事もあったようだ。前線では少しでもマシにしようと、M60をコクピット後方の窓に固定し、「ミニ・ガンシップ」化した例もある。
この対策として、セスナO-2『スカイマスター』(元セスナ337)が採用された。だが、少しはマシになった程度でやはり能力は不足しており、後にパワフルで防弾も充実したOV-10が採用された。
このように様々な対策が出されたが、『武装が貧弱』『低空を低速で飛ばなくてはいけないので、被弾が多い』欠点は解消せず、戦後は低速性能もそれなりによくなったジェット戦闘機に回帰していく事になる。現在でもこの問題は残り、アメリカでは重武装かつ被弾に強いOA-10が採用されている。
21世紀のCOIN機
携帯式地対空ミサイルが発展していったため、一度は絶滅危惧種になりかけたが、これまでの攻撃機が軒並み旧式化して退役も進み、また戦争の趨勢が正規戦争から対テロ戦争、つまり対歩兵戦闘となっていったため、低空・低速が得意で安価な機として注目を集めるようになった。
ただ、先進国においては相変わらず肩身が狭い。
いくら簡便で安価とは言っても、チャフやフレアー、レーダージャマーといった防護手段に乏しいCOIN機では正規戦争には弱すぎる(実際フォークランド紛争でそれが露呈した)。
下手をするとヘリコプターの方が多く武装を積めてまだ使い勝手がよかったり、武装UAVもCOIN機並みに武装できる上に人的消耗を気にしなくていいので、先進国ではこれらの機種で事足りるのが実情である。
ただし、COIN機を必要とするような中小国にとっては、このようなヘリコプターや武装UAVは軒並み複雑高価で手が出しにくかったり、そもそも輸出規制に引っかかって売ってくれなかったりする事が多い。
ヘリコプターは元より運用コストが高い航空機である上、昨今は攻撃ヘリコプターの有用性を疑問視する声もあることから、「攻撃ヘリコプターよりCOIN機の方がまだマシなんじゃね?」という意見もある。
武装UAVもパイロットが直接搭乗しないため常に誤爆と通信断絶のリスクを抱えており、一概にCOIN機より優れているとは言えない部分がある。
このような理由から、今なおCOIN機の需要が一定数存在している。
とはいえ、現在では辺境の武装集団やテロリストにまで対空ミサイルが普及している事があるので、危険の大きい任務である事には変わりが無い。厳重な防御策は必要である。
このため、A-29「スーパーツカノ」のような新型のCOIN機は、これまでのCOIN機とは一線を画し、空対空ミサイルやレーザー誘導爆弾が搭載可能で、チャフやフレアーといった防護手段だけでなく、ヘリやUAVなどにも用いている複合センサーユニットを搭載している。
また、最近は農業機を改造する例も増えてきている(農業機は農場という限られたエリアで大量の農薬や肥料を低空で散布するために高い運動性と搭載量を持つので、上述したクロアチア独立戦争の時のように攻撃機化には意外と相性がいいのである)。
他にもセスナ・エアクラフト・カンパニー/テキストロンではジェットCOIN機である「スコーピオン」を開発中。
アメリカ空軍もOV-10を試験的に現役復帰させ、安価に運用できる事を再評価しており、A-10を補完できるCOIN機を導入する「OA-X」計画も立ち上げている。もっとも、この計画は二転三転している上に近年の正規戦寄りの軍備に回帰する流れもあって、今後の行方は未知数だが、特殊作戦用としては農業機AT-802を改造した「OA-1Kスカイワーデン」を採用した。
日本のCOIN機
なお、日本にもCOIN機は存在した。
1952年、終戦まで活動していた川西航空機の上層部らが中心となって設立した東洋航空工業という会社は、アメリカより「フレッチャーFD-25」という小型練習機の製造権を買い取って1ダースほど製造した。
この小型機は「FD-25A」「FD-25B」の二種類が存在したが、後者は主翼に2丁の機関銃を内蔵するCOIN機だったのである。同機はFD-25Aとともに東南アジア諸国へ少数が輸出されているが、東洋航空工業は設立当初より経営が思わしくなく、1969年に会社解散してしまった。
また、三菱重工業が開発したビジネス用双発ターボプロップ機「MU-2」は、一部の軍用型などに限るが武装を搭載可能で、COIN機として運用可能だった。武装時の運用マニュアルも存在している。
詳細は同機の個別記事を参照していただきたいが、こちらも防衛庁(陸上自衛隊と航空自衛隊)以外での軍用機としての採用は、アメリカ・ニュージーランド・アルゼンチンの各空軍くらいであり、いずれも補助的任務のために使用されたに過ぎなかった。
自衛隊では、後者のMU-2を陸上自衛隊と航空自衛隊で運用していたが、陸自では「LR-1」の名称で連絡機兼偵察機として、空自では救難機と航空設備の動作をチェックする飛行点検機として運用していたに過ぎない。
一応、陸自のLR-1のうち1号機と2号機のみドアガンとしてブローニングM2重機関銃を搭載可能で(3号機以降はM2を搭載するためのフェアリングが取り外されている)、ロケット弾も試験的に搭載したとも言われているが、本格的なCOIN機として運用した事例はなかったりする。