T-34(練習機)
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てぃーさんじゅうよんまたははつかぜ
米国・ビーチクラフト社が開発した練習機のひとつ(メイン画像上の2機)。日本では「はつかぜ」と呼ばれていた。
T-34メンターとは、第二次大戦終結後に米国の航空機メーカーであるビーチクラフト社が開発した練習機である。コンチネンタル製O-470-13レシプロエンジン単発のプロペラ機で、1948年12月2日に初飛行が実施された。
初等練習機としては米空軍のT-34Aとして1953年に採用され、また米海軍仕様のT-34Bも採用されている。以後、カナダ、アルゼンチン、日本、中華民国など世界20か国に導入された。良好な操縦性と安定性、そして荒い使用にも耐える頑丈さから傑作練習機との評価が高く、初飛行から50年以上を経た現在でも練習用として使用している国があり、米国でも民間払い下げ機が曲技飛行機として多数使用されている。
なおメンターとは「良き助言者」「優れた指導者」を意味する英語「MENTOR」にちなむ。
日本では米空軍と同じ1953年、20機が米国より貸与され、当時の海上警備隊と保安隊に10機ずつ配備されたのが始まりで、その後富士重工によるライセンス生産で30機が追加導入された。富士重工では翌年からの3年間に航空自衛隊向けとしてこのT-34を124機、1958~9年に戦時賠償としてフィリピン向け36機とインドネシア向け1機を製造している。
空自には最終的に154機が配備され、「はつかぜ」と命名、パイロット養成に使用されたほか、1958年からは救難捜索機としても活用された。中には陸上自衛隊や海上自衛隊に連絡機として転属したものもある。これら「はつかぜ」は1983年まで使用されていたが、ほどなく除籍された。
ところで、海自の前身・旧日本海軍には日立航空機が開発した航空機用エンジンとして「初風」(ハ11-11)が存在し、こちらも二式陸上初歩練習機「紅葉」に搭載された。
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