概要
中国共産党内の主導権を得た毛沢東が、ソ連が15年以内にGDP世界1位のアメリカを追い抜くと言ったことから、1957年に「農工業において(当時GDP世界3位であった)イギリスを15年以内に追い抜く」という目標の下繰り広げた国家政策。
第二次世界大戦まで各国に切り売りされ続けた中国の経済を回復させると共に近代世界のリーダーとなるべく、国家の威信をかけて行われたのだが……。
ぶっちゃけて言うと、人類史上最悪の政治運動と呼んでも差し支えない程に大失敗してしまった。
政策
製鉄/鉄鋼政策
当時国家の工業力指針と言えば鉄関連であり、鉄の製造量こそ国力のバロメーターだった。そこで全国規模で溶鉱炉を設置し各地で製鉄を行わせたが、専門家が足りず殆どの地域では素人が作業を行うしかなかった。また溶鉱炉を作る耐火煉瓦が足りず煉瓦製の寺院や遺跡を崩したり、燃料確保の為木材を無秩序に伐採し続けたりで地域文化は壊滅的な被害を受けた。
そして肝心の原料である鉄鉱も足りず、鉄製農機具や一度作った鉄を再度製鉄して製造量を水増しすることで漸く要求量を確保する始末だったという。なんというか本末転倒の嵐で、出来上がった鉄も実に六割が役に立たない屑鉄だったらしい。
密植深耕運動
「もっと緊密に植えて作物の収穫量を増やそう」という政策で、専門的な知識より機械的に効率を優先した結果として、作物はマトモに育たず大凶作となった。また農村のコミューンを締め付け他所の地域と競わせた結果生産報告の水増しが往航、そして役人は辻褄合わせの為に農村から何もかも根刮ぎ奪っていく事となり、生産意欲どころか生存意欲までガッタガタに低下してしまった。
害虫駆除
伝染病を媒介するハエ、蚊、ねずみと、農作物を食い荒らすスズメを徹底的に駆除しようとした政策。だったが、生態系を無視した駆除により逆に病害生物が大増殖。特にスズメがいなくなった事でスズメが捕食していた昆虫が爆発的に増殖、虫害により農村は壊滅的な被害を受けた。
後にソビエトからスズメが輸入され、その後は南京虫を駆除対象としたが違う、そうじゃない。
チベット政策
併合してまもないチベットの中化政策として行われた筈が、チベット地域を上記の政策を試験する実験場として扱う政策になっていた。
その惨状は凄まじく、配給される食糧が一人一日180グラムしかなかったとか。「民衆は夢のなかでさえ、ここまでの飢餓は想像したことが無かった」と語られチベット民族の消滅さえあり得る状況にまで追いやられていた。
結果
数千万とも語られる死者を出し中国国内をボロボロにした。惨憺たる結末は当の毛沢東さえ認めて党大会で自己批判を行った。が、それでも主席という地位にあって毛沢東賛美の流れはそのままだった。
そして、人類史上最悪の文化破壊へと繋がっていく……。人は、過ちを繰り返す。