概要
1926年4月に発明家のハロルド・ピトケアンによって設立された、ピトケアン・アビエーションという航空郵便輸送会社がそのルーツ。
1929年にクレメント・メルヴィル・キーズという人によって買収され、翌1930年にイースタン・エア・トランスポートと名を改めた。さらに1934年にはイースタン航空に改名している。
ただ、路線網はその名の通りアメリカ東部に集中していたうえ、大陸横断路線を申請してもなかなか認めてもらえなかった。これが結果的にはこの航空会社に暗い影を落としてしまう。
その一方で、予約無しで搭乗出来る「イースタン・シャトル」をニューヨーク-ワシントンDC-ボストン線に適用、これが成功を収めたほか、カナダやバミューダ諸島にも路線を開設している。
1967年にようやく大陸横断路線の開設が認められた。さらに1971年10月にフロリダ州オーランドに開園したウォルト・ディズニー・ワールドのオフィシャル航空会社にも選ばれている。
さらに言えば、エアバスA300をアメリカの航空会社で初めて採用しており、これがきっかけでA300が売れ出すようになったとされる。
しかし1978年10月にアメリカの航空会社に関する規制が緩和されると、ユナイテッド航空、アメリカン航空、デルタ航空と言ったこれまでの競争相手に加え安い運賃を提示してきた新規参入企業との厳しすぎる競争に晒されることになり、結果経営は傾いてしまう。
1986年2月、フランク・ロレンツォという企業家に買収された。ただ、彼がコンチネンタル航空でやって見せた荒療治は、ここでは全く通用しなかった。その過程でニューヨーク-マイアミ線と共に主力路線となっていたイースタン・シャトルは人手に渡ってしまっている。
結局1991年1月18日に運行停止、64年9ヶ月の歴史に幕を下ろしてしまった。
その後2015年に復活したもののわずか2年で消滅、2018年にダイナミック航空が改名する格好で2度目の復活を遂げている。
挿話
- イースタン航空は保有していたダグラスDC-8のうち12機を1970年から日本航空に貸し出した。そのうち5機は返してもらったものの(ただしすぐに他の航空会社に売却)、残りの7機はリース会社を通じて日本航空に譲った。これらはアメリカ国内線で使用するため日本国内線のほかアジア線にも投入していた日本航空の同型機とは運航装備が異なっていたため社内では「イースタンタイプ」と呼ばれていた。なお、1982年2月9日に羽田空港沖の東京湾に不時着水事件を起こしてしまったDC-8は、このイースタンタイプの機体だった。
- イースタン航空が手放したイースタンシャトルは、その後紆余曲折を経て、2022年3月現在はアメリカン航空の手によって、アメリカン航空シャトルとして運航されている。