概要
1923年に設立された。
その目的は、ベルギー本国と、アフリカにあった植民地・ベルギー領コンゴ(何だかんだあって現在のコンゴ民主共和国)を結ぶ空路を開設することにあったが、実際には1935年になってようやく開設された。
赤字でもいいんです、補助金があるので。
第2次世界大戦後、路線網の発展や新機材の導入など、表向きは他の航空会社と同じような発展を遂げていったサベナだが、明らかに採算性のない路線を維持したことやフラッグキャリアゆえの企業体質のため、創業以来、1958年を除いてずっと赤字だった。それでも余裕で運航を続けることができたのは、ベルギー政府から補助金が大量に出ていたためである(これもフラッグキャリアゆえ)。そのため、倒産への危機感が全くなかった。
航空自由化の荒波にのまれて
しかし、1980年代から90年代にかけての航空自由化の流れはヨーロッパにもおよび、加えてEUは各国が自国の航空会社を優先的に援助することを禁止したため、サベナは自立しなければならなくなる。とはいっても、万年赤字のサベナが1社でどうこうできる余裕はなく、別の航空会社と提携する必要があった。そこでサベナが手を組んだのが、「空飛ぶ銀行」といわれるほど堅実で信頼されていた航空会社、スイス航空だった。
あまりに悲惨なフラッグキャリアの末路
スイス航空の後ろ盾を得たサベナだったが、赤字体質は延々として改善されず、経営はどんどん傾いていった。追い打ちをかけるように、1990年代末にはスイス航空の財政が悪化、サベナを支援することが難しくなった。これにとどめを刺したのが2001年に起こった同時多発テロで、最後の頼みの綱だった大西洋路線の利用者が激減し、2001年11月7日にすべての便の運航を停止、倒産した。支援先のスイス航空も大打撃を受けたため、ほぼ共倒れとなる形で倒産となった。
その後、サベナの子会社を母体としたSNブリュッセル航空がいくつかの機材と路線を引き継ぎ、さらに倒産直前のサベナからシェアを奪ったライバルであるヴァージン・エクスプレスと合併し、ブリュッセル航空となって運航を続けている。かつてのサベナほどではないが、徐々に路線規模や保有機材を増やしている。
日本との繋がり
1969年にブリュッセル-羽田線を開設したのだが、週3便のうち、1便はアンカレッジ経由(ポーラールート)、1便はテヘラン経由、もう1便はボンベイ経由という、同じ行き先なのにルートが3通りあるという、ある意味サベナらしいものであった。
流石に後にアンカレッジ経由に統一されている。さらに成田空港開港時には成田に引っ越している。
だが先述の経営難のあおりを受け、2001年10月末をもってブリュッセル-成田線は廃止された。
なお、それから14年後、全日空が成田-ブリュッセル線を開設している。サベナの「後継」会社のブリュッセル航空は、スターアライアンスを通じて全日空とどちらかというと仲良しである。