概要
路線全長4.5km。
1899年川崎大師への参拝客輸送を目的として開業し、その後幾度のルート変更や改軌などが行われた。
京急電鉄の発祥でもある最古の路線であり、東日本で初めて電車の営業運行を行った路線でもある。
鉄道唱歌の作中にも、
「梅に名を得し大森を 過ぐれば早も川崎の 大師河原は程近し 急げや電気の道すぐに」
という歌詞がある。
また、沿線は京浜工業地帯の工場集積地帯という事もあり、朝夕は通勤客の利用も多い。
1949年から1997年までは味の素など沿線の工場への貨物輸送も行われており、東海道貨物線からの列車が川崎貨物駅から(1964年までは浜川崎駅から川崎市電経由で)直通を行っていた。当時は現在の逗子線同様下り線のみが三線軌条となっており、終電後に神奈川臨海鉄道による貨物列車が運行されていたという。
京急線で唯一他路線との直通運転はなく、全区間を4両編成の普通列車が運行される。
この事と沿線風景もあって京急線で「最も支線らしい路線」とも言えるが、全線・全駅構内が複線でワンマン運転は行われていない。
構内踏切で階段が無い駅が多い。
駅一覧
駅番号 | 駅名 | よみ | その他 |
---|---|---|---|
KK20 | 京急川崎 | けいきゅうかわさき | 京急本線乗り換え。 |
KK21 | 港町 | みなとちょう | 川崎競馬場最寄駅。また、かつての駅名はコロムビア前駅であり、かつて駅北側に日本コロムビア本社工場があった他、美空ひばりの曲「港町十三番地」が現在到着メロディとなっている。 |
KK22 | 鈴木町 | すずきちょう | 味の素川崎事業所敷地内に駅があり、かつては味の素前駅であった。駅名は味の素グループ創業者に由来。 |
KK23 | 川崎大師 | かわさきだいし | 川崎大師最寄駅。 |
KK24 | 東門前 | ひがしもんぜん | 川崎大師へは当駅からもアクセス可能。 |
KK25 | 大師橋 | だいしばし | 2019年に地下化。2020年以前は産業道路駅であった。 |
KK26 | 小島新田 | こじましんでん |
廃止区間
小島新田 - 塩浜 - 入江崎 - 桜本
塩浜~桜本間は架線電圧600Vのまま存置され、1951年の大師線の1500V昇圧時に京急車の乗り入れが終了。同時に川崎市電が塩浜駅までの直通運転を開始し、翌1952年には塩浜駅~桜本駅間が川崎市交通局に譲渡された。
1964年に国鉄東海道貨物支線の塩浜操車場(現在のJR貨物川崎貨物駅)が大師線を分断するような形で建設される事となり、小島新田以南の区間が営業休止となる。
同時に川崎市電に譲渡された区間もほとんどが休止となったが、桜本駅から市営トロリーバスと接続していた池上新田までの区間のみ辛うじて存続していた。
なお休止以前の小島新田駅は現在位置よりも300mほど西にあったが、こちらも国鉄の線路の直前(現在の位置)へ移転し、旧駅方面へは貨物駅をまたぐ形で歩道橋が設置されている。
1967年に川崎市営トロリーバスの廃止に合わせて川崎市電の休止区間が正式に廃止。
1969年には川崎市電自体も全線廃止となり、京急電鉄も翌1970年に小島新田駅~塩浜駅を正式に廃止とした。
使用車両
現在
過去
前述の通り、ホーム有効長の関係上4両編成のみが運用される。
また、本線との直通運転がなくダイヤの余裕もあるため、加速が遅い二代目700形や増圧ブレーキがなく120km/h走行ができない1500形鋼製車などの運用に制限のある車両が優先的に使用される傾向にあった。
連続立体交差事業(地下化)
踏切解消等を目的とした「京浜急行大師線連続立体交差事業」として、小島新田駅を除くほぼ全線で地下化工事が計画されていた。
第1期区間は小島新田~川崎大師であり、2019年3月3日に小島新田~東門前の地下化が完了した。産業道路の踏切が解消された。
残る東門前~川崎大師は2019年度に工事着手し、2023年度に地下化される計画となっていたが、新型コロナウイルスの影響で2022年現在も工事着手が困難であるとのこと。
第2期区間とされた川崎大師~京急川崎間は、路線を大きく南側に移設して地下化し、さらに国道15号との交差地点に新駅「宮前駅(仮称)」の設置が予定された。また、将来的に本線との直通運転や、JR川崎駅へ乗り入れ川崎縦貫高速鉄道(川崎市営地下鉄)へ直通する計画もあった。
しかし、すぐに工事着手できない状況であることから、2016年3月29日付けで休止となった。その後、川崎縦貫道路の事業休止や川崎縦貫高速鉄道の計画廃止もあり、2017年10月27日に中止が決定された。
計画中止により残される踏切のうち、京急川崎~港町間の「本町踏切」は立体交差化が検討されている。
関連項目
東武大師線…名前繋がり