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曖昧さ回避

ここでは四国旅客鉄道(JR四国)、京浜急行電鉄、小田急電鉄、京王帝都電鉄、京阪電気鉄道の「1500形」について解説。

四国旅客鉄道1500形気動車

旧型気動車置き換え用として2006年より登場したJR四国のディーゼル式気動車。排ガス中の窒素酸化物を大幅に削減したほか、車椅子のお客様にもご利用しやすいトイレを車内に設置。また、車両の乗降口と駅のホームとの段差を小さくするなどバリアフリー化に対応。

全車両が両運転台車。

  • 0番台:1・2次車。1508号車までは前面方向幕の位置が1509号車以降とは異なる形態である。15両が在籍。
  • 50番台:3~6・8次車。スカートの配色や側面ロゴマークの変更などを実施。17両(1551~1565・1568・1569)が在籍。
  • 1566・1567号車:7次車。他の1500形は新潟トランシス製なのに対し、この2両は近畿車輛製。デザインが全く異なる形態。

京浜急行電鉄1500形電車

京浜急行電鉄京急)が1985年より営業運転に投入した通勤形電車。老朽化が進んだ旧1000形の初期ロットを置き換えるべく、当時の枯れた技術で無難に仕上げられた。

1000形と同様、大師線ローカルから都営地下鉄浅草線への乗り入れまでこなす、地味ながらオールマイティ、しかもドラマチックな形式。

両数の割に製造期間は8年間と比較的短いが、そのバリエーションは多岐にわたり、他社なら絶対違う形式にするだろうとさえ思われるものも存在する。

詳しくは→京急1500形

小田急電鉄1500形電車

終戦直後に旧帝都電鉄(現・京王井の頭線)の電車を改造した初代1500形(デハ1501・クハ1551)と、

1990年に登場した1000形のワイドドア車である2代目1500形(→1700形)に大別される。

初代1500形

2両しかいないレア形式。大東急時代の番号はデハ1458号・クハ1502号、さらに前歴をたどれば帝都電鉄モハ208号およびクハ502号である。

帝都電鉄は現在の京王電鉄井の頭線にあたるが、1940年に小田急電鉄の前身にあたる小田原急行電鉄と合併しておりもともとは小田急系列の路線であった。

…からなのかどうかはわからないが、大東急時代末期の1947年11月に小田原線の1350形と井の頭線の電車を2両ずつ交換した結果、茶色一色の小田急の中ではひときわ目立つグリーンの車体の電車がやってきたのである。

※ この理由については諸説あり、もともと小田原線に新車を導入する予定だったのが、東京大空襲で井の頭線が壊滅的打撃(後述)を受けたため新車が井の頭線に召し上げられてしまい、復旧した井の頭線から状態のいい車両を譲り受けたという説もある。

当時は制御装置などが井の頭線仕様のままだったため他の電車と連結が出来ず、独立した運用しか組めない電車だった。

車体の色から「青大将」と呼ばれていたらしい…。

その後は制御装置を国鉄標準のCS-5に換装したり、他のABF車と連結が出来るようにした。

後年車体を載せ換え、1900形デハ1914号・クハ1964号となったため消滅したが、車体はデユニ1001形の大型化に際して再利用された。

2代目1500形(→1700形)

1000形のワイドドア車として1990年に登場。広義の1000形のひとつ。1500形は4両編成で、6両編成は1700形と呼ばれる。編成組み換えにより現在は全車6連化され、形式も1700形に統一された。

詳細は小田急1000形の項目に詳しいのでそちらを参照されたい。

京王帝都電鉄クハ1500形

前述の帝都電鉄クハ500形のうち井の頭線に残った車両。製造は日本鉄道自動車工業

クハ500形自体も製造数2両のレア形式で、永福町の工場で運ばれた台枠をもとに車体を組み上げたとされているが、この台枠が1936年製とは思えないほど古風な作りであり、当時の帝都電鉄関係者は「1925年に汽車製造で作られた、筑摩電気鉄道(現在のアルピコ交通)の注文流れのものらしい」と証言していたという。その一方で台車に関してはさらに古い明治末期から大正初期に製造されたものに類似しており、実は大正中期ごろに作られた部品をもとに作られたのではといわれている。

1940年に帝都電鉄は小田原急行電鉄(1941年に小田急電鉄に改称)と合併、1942年に東京急行電鉄と合併し形式名をクハ1500形とした。

前述の小田原線との車両の交換は小田原線からの転入が1943年、井の頭線からの転出が1947年と開きがあり、その間の1945年5月に東京大空襲で井の頭線は31両在籍していた電車のうち24両が焼失するという壊滅的打撃を受けた。

この際に被災を免れたクハ1502は小田急電鉄に渡ったが、焼失したクハ1501は日本鉄道自動車工業で車体を更新、17.5m級車体に延長し日本車輌製D-18形台車に交換してデハ1460形に改称された。

その後は小田急から転属してきたデハ1350形の復旧車と編成を組み、1963年には中間車に改造、1978年まで活躍した。

京阪電気鉄道1500形電車

正式には「1500型」といい、初代(→500型)と2代目が存在した。

初代1500型(→初代500型)

初代1500型は全長16m弱の半鋼製3扉ボギー車であり、電装品など性能面で戦前京阪タイプの基本となった車輌。

1929年に初代500型に改番され、戦後は交野線などで活躍。1976年まで走っていた。

2代目1500型(→一部は1280型)

2代目は1939年に製造され、日中戦争での戦時輸送遂行のため、1000型を3連化する目的で製造された。

1000型はノーシル・ノーヘッダー、張り上げ屋根だったのに対し、戦時下ということでシルとヘッダーがあり、雨樋も目立つ。

戦後1515号~1518号は電装され、1281号~1284号となった。

1968年から1970年にかけて廃車。電装品などは700系(2代)に流用された。

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