江ノ電1000形
えのでんせんがた
1979年に登場。300形・500形のイメージから脱却し軽快さを与えた新製車である。
江ノ電48年目の完全新製車なのだが、この間にはプラモのスクラッチ感覚の魔改造車300形、完全に改造とは名ばかりの車籍流用車500形(初代。以下同じ)が間にいるため、実質的には23年となる。
新製は「23年ぶり」だがモデルチェンジ間隔は「23年ならまぁこんなとこ」である。当時は国鉄103系や東武8000系などの極端な例を含め20年以上基本設計そのままの鉄道車両はザラにあった。1980年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞車である。
にもかかわらず、長く「昭和54年にもなって新製された貧乏地鉄のツリカケ車」という、誤解によるネガティブな評価が付きまとった。
吊り掛け式の理由
この誤解が助長されたのはツリカケ駆動(バー・サスペンション方式)方式を採用したことによる。
江ノ電の車両限界ではカルダン駆動の採用実績がなく、唯一存在する自社500形では車体のオーバーハングを削ってトラックベースを確保したため、2編成連結の4連時に「停止位置を厳密に守らないと信号が誤作動する」という現象が発生し、この為500形同士の2編成連結は原則禁止(実際には臨時運用などで500形重連はあった)という運用上の支障を来たしていた。
(注:江ノ電500形のカルダン式駆動への更新は1989年~90年であり、1500形の駆動装置・台車の同一品を使用している。トラックベースの干渉はともかく、時系列的に矛盾するので出典が何であるかが判然としない)
この為、新形式では駆動方式については目処が立つまでツリカケ駆動とすることにしたのである。
一般にモーターが大柄にならざるを得ない吊掛式で、軸距が縮小できるのは、カルダン駆動には実績のない台車端梁側にモーターを装荷するという手法が路面電車等の中量輸送車輌では一般的で長年広く用いられていたため、技術上の困難がないためである。
そのため、軸距は1600mmと極めて短い。
それ以外の点では電気指令式ブレーキは初採用、運転装置はワンハンドルマスコンが初採用、車内では客室窓の熱線吸収ガラスの採用、コンビネーション灯具の採用を見越した前照灯配置の採用など、当時大手私鉄でも採用初期~過渡期の技術がふんだんに取り入れられている。
209系以降では当然となるブラインドの廃止も実施されたが、当時は非冷房で新製されたこともあり不評で、増備車(1100形)では復活した。
また主電動機TDK5610-A(全界磁定格出力50kW/300V/1050rpm)、歯車比は5.27と国鉄101系の5.60並に大きく取られた。
起動加速度は2.0km/h/sだが、平坦線釣合速度が50km/hであることを考えると、決して低い性能とは言えない。減速度は常用最大3.5km/h/s、非常時4.0km/h/sと国鉄新性能車並み。ちなみに。江ノ電の最高速度は60km/h。
回生がないことを除けば当時の大手私鉄のそれと比較しても遜色のない最新鋭電車であり、江ノ電の自信作であった。
早い話が京阪80形以来の「走るデタラメ」である。
電気指令式空気ブレーキを装備。その後採用された新車は軒並みこれを装備しており、旧来の車輌も改造で交換されていった。
路線条件から最高速度・加減速度は揃えられているため、戦後しばらくまでの車体・吊掛式の電車とインバータ制御式の電車までもが併結して走るという光景は、江ノ電では日常である。
さらに誤解の根底では「江ノ電≒零細鉄道会社≒ビンボー赤字会社」というイメージがある。
確かにバブル崩壊後の一時期苦しかったこともあるが、基本的に小さいなりの優良企業であり、小田急グループ随一の稼ぎ頭である。
車両も現役の車両は動態保存車の300形305Fを除いてすべて自社新製車である。また前述のとおり300形も種車の面影などない。
なお2019年に箱根登山鉄道のモハ2型(103-107)の引退に伴い関東地方かつ通常時の営業列車で乗れる最後の吊り掛け車両となった。