概要
1961年より東京都交通局が都電に導入した路面電車。東京市電時代に製造された小型ボギー車である1200形の車体を延長し、乗車定員を増やすため改造によって登場した。
車両概説
1961年から1963年にかけて、1200形から46両が本形式に改造されている。
まず1961年5月に、改造を請け負う大栄車両が荒川車庫で1207号と1209号の下見を行い、同月中にその2両が同社の津田沼工場へ搬出・改造された。同年には大栄車両で15両、東横車輌(現、東急テクノシステム)で1両の計16両が改造された。以降は1962年と1963年に大栄車両で、それぞれ10両と20両が改造され、計46両が揃った。
改造は種車の流線型の車体をベースに車体を窓2個分延長したのをはじめに、前面は1962年登場の7500形同様に自動車の部品を流用した標識灯が取り付けられたほか、大型方向幕や電照式系統板受けが設置された。
台車は4種類採用され、1501号-1504号はD-10形(1967年にD-16形へ交換)、1505号-1522号はD-22形、1523号-1535号はD-24形、1537号-1546号はD-24A形を使用した。このうちD-24形およびD-24A形は、台車枕バネに空気バネを使用していた。
運用
改造後は全車が錦糸堀車庫へ配置され、25系統、28系統、29系統、38系統で使用されたため、江東区内の下町を中心に活躍した。
車体が大型化された反面、主電動機出力は37kWのままであったため、勾配が急な橋の上で登り切れずに立ち往生することがあったという(江東区はゼロメートル地帯が多い関係で、橋の中心が山なりになった、いわゆる太鼓橋が多かった。関連イラスト参照)。
1968年に事故で2両が初めて廃車となり、その後は1971年までに全廃された。
関連イラスト
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都電1500形…表記ゆれ