概要
1892年(明治25年)1月15日~1970年(昭和45年)8月12日
東京都出身。
詩人として象徴詩に清新な感覚と叙情をもたらし、作詞家として『青い山脈』『東京行進曲』など大正から昭和にかけ多くの流行歌を生んだ。評論に『ランボオ論』などがある。
16歳の時に避暑で訪れた千葉県南部の鋸南(きょなん)町の美しい海辺の風景は、その後の八十の作品に大きな影響を与えたといわれ、詩の中に登場する海は、鋸南の海をモチーフにしたという。
明治42年 早稲田大学英文科に入学。同人誌や文芸誌に詩を寄せ、詩人として頭角を現すが、創作に浸れる時間は長くはなかった。兄が家の資産を持って失踪。家族のために働かざるをえなくなったからだ。
上野の職場で日々仕事に追われていた頃、人気作家・鈴木三重吉と出会い、三重吉が発刊する児童雑誌に詩を依頼されるという大きな転機が訪れる。
八十は自分の境遇を『唄を忘れたかなりや』になぞらえて詩を作った。その後、成田為三が曲をつけた童謡『かなりや』が発表されると、八十の名は一躍日本中に知れ渡った。