成田山新勝寺
なりたさんしんしょうじ
千葉県成田市にある真言宗智山派の仏教寺院であり同派の大本山の一つである。「川崎大師平間寺」「高尾山薬王院」と共に「関東三大本山」に数えられる。本尊は不動明王。
全国から参拝客が集まり、2019年の三が日には約314万人が参拝に訪れるなど全国屈指の寺である。
また成田空港にも近いので外国人にも人気。
伝承によると、この寺院の成り立ちは以下の通り。平安時代、平将門が「新皇」を名乗り、反乱を起こした際、朝廷は彼を調伏するための祈祷を各所に命じた。のちに開基となる寛朝は空海作の不動明王を携え、京都を出発。海路を渡り房総半島の尾垂ヶ浜に上陸し、陸路で下総国公津ヶ原に向かい、成田の地に不動明王像を安置し、護摩行を執り行った。行の最終日、将門は戦死した。
寛朝は京の都に帰ろうとしたが、不動明王像がその場から動こうとせず、明王からこの地に留まるようにお告げもあったという。時の朱雀天皇が望んだこともあり、寛朝を開基として新勝寺が建てられることになった。
この由来から平将門を祭神とする神田明神や築土神社では、崇敬者が成田山を詣でる事を禁忌とする慣わしが伝わっている。
市川團十郎家との関わり
歌舞伎役者・初代市川團十郎は父・堀越重蔵が新勝寺の近くで生まれ育ち、子である初代團十郎も同じく新勝寺に帰依していた。自身に子供に恵まれなかったが新勝寺で子宝を祈願した後に長男、のちの二代目團十郎が生まれた。これが縁となり市川團十郎家歴代は当寺を篤く信仰することになり、屋号の「成田屋」は「成田山」に由来する。初代市川團十郎が不動明王を題材とした作品「鳴神」を上演するとこれが大受けし、成田山への参拝者も増加した。
市川團十郎家も毎年新勝寺の初詣や護行に赴いており、当代である十三代目市川團十郎も自身のYouTubeにて新勝寺との関わりを述べている。
他にも、2月3日の節分では、市川團十郎家のほか、NHK大河ドラマの出演者達が豆まきに参加するのが恒例となっているが、前述の慣わしのため平将門を題材とした『風と雲と虹と』では出演者の参加はなされなかった。
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