概要
藩史
近江国琵琶湖の東岸にあった藩。元は佐和山藩といい関ヶ原の戦い後に井伊直政が石田三成の旧領に封ぜられたのが始まり。直政死後、後を継いだ長男で二代目藩主の井伊直継が彦根城を築いて居城を佐和山から移し彦根藩と改称。なお、井伊氏は2017年NHK大河ドラマの「おんな城主直虎」で描かれたように、元は遠江国井伊谷の国人領主であった。彦根には井伊直虎ゆかりの寺である龍潭寺と同名の寺がある。井伊家は直継の弟で三代藩主になった井伊直孝以降、江戸幕府の大老を5人も輩出している。
居城だった彦根城は天守が現存している。彦根城の近くには三成や直政に丹羽長秀などが居城とした佐和山城の跡がある。
江戸幕府大老を出す家のために、他家からの養子を認められず、他藩では末期養子の禁に抵触して改易を食らう状況でも改易されることもなく、隠居した前藩主が再封されるという特別扱いを経験している。
招き猫の逸話
三代目藩主の井伊直孝が世田谷にある豪徳寺で雨宿りをしていたところ、一匹の猫が手招きをしていた。その猫のほうに行ったら落雷(あるいは豪雨)を逃れたという話がある。この話がもととなって招き猫が生まれたと言われている。どこまでが真実なのかはわからない。
水戸藩との確執
獣の肉を食べることがタブーとされていた江戸時代において、彦根藩では牛の屠殺が許可されていて牛肉が食べられていた。牛肉の味噌漬けは江戸でも他の大名などに振舞われていた。しかし井伊直弼は牛肉を食べることを禁止してしまった。そして牛肉を食べられなくなった徳川斉昭の怒りを買い、桜田門外の変が起きたという話がある。斉昭が怒ったところまでは真実の可能性があるが、それを桜田門外の変と結び付けるのは無理がある。万が一関係あったとしても「たくさんある理由のうちのひとつ」ぐらいだろう。
ただし水戸藩とはずっと仲が悪かったのは事実である。
歴代藩主
- 井伊直政:佐和山藩(彦根藩)初代
- 井伊直継:直政の長男→上野国安中藩主となる
- 井伊直孝:直政の次男←上野国白井藩主から本家当主に
- 井伊直澄:直孝の五男
- 井伊直興:直孝の四男・直縄の長男
- 井伊直通:直興の八男
- 井伊直恒:直興の十男
- 井伊直該(直興と同一人物。再封)
- 井伊直惟:直興の十三男
- 井伊直定:直興の十四男
- 井伊直禔:直惟の長男
- 井伊直定(再封)
- 井伊直幸:直惟の次男
- 井伊直中:直幸の六男
- 井伊直亮:直中の四男
- 井伊直弼:直中の十四男
- 井伊直憲 :直弼の次男
ちなみに直継は歴代当主数えないことも多い。