概要
彦根山上に本丸・西の丸・鐘の丸、山下に二の丸・三の丸をおき、3方は琵琶湖にのぞみ,南東に3重の堀をめぐらし、周囲約 4kmの規模をもつ。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は国の特別史跡かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域である。
歴史
築城~江戸
関ヶ原の戦いの後、徳川四天王のひとりである井伊直政は、その軍功により上野国高崎から石田三成の旧領だった近江国北東部の佐和山に封じられ、18万石の大名となる。直政は佐和山城に代わる城の築城が計画していたが、関ヶ原の戦いでの烏頭坂における島津豊久との激戦で負った戦傷と過労が元で、1602年(慶長7年)に死去。長男の井伊直継が家督を継いだがまだ幼少であった。
直政の遺臣である家老の木俣守勝は徳川家康と相談して直政の遺志を継ぎ、1603年(慶長8年)琵琶湖に浮かぶ彦根山(別名金亀山)に彦根城の築城を開始し、1606年(慶長11年)に完成した。
築城には佐和山城をはじめ大津城・小谷城・観音寺城の資材が用いられ極端な省エネ築城であった。直継は佐和山から彦根に移り藩名も佐和山藩から彦根藩となる。
明治~現代
明治時代を迎えると廃藩置県により彦根藩も廃止され、井伊家は東京に移住。城は陸軍省の管轄下に置かれた…が、陸軍省は城の解体を決定しており廃城の危機に瀕していた。しかし、北陸巡幸中だった明治天皇に参議の大隈重信が進言したことで城の解体に待ったがかかり、管轄も宮内省へ移管。現在も見られる天守などの雄姿が保たれることとなった。
1951年(昭和26年)に国指定重要文化財となり、翌1952年(昭和27年)には国宝となった。近年は世界遺産を目標としていたが、昨今その基準が高くなったことから断念している。
関連タグ
彦根城(御城プロジェクト):ゲーム『御城プロジェクト:Re』に登場のモチーフキャラクター。