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概要

1600(慶長5)年の関ヶ原の戦い東軍についた伊予正木城(愛媛県松前町)主・加藤嘉明が、新たな藩庁として松山城を築城したのが始まり。

1627(寛永4)年、陸奥会津藩主・蒲生忠郷が嗣子なく没したため、弟の忠知が跡を継ぐ代わりに嘉明と入れ替わりで松山へ転封となった。

1634(寛永11)年、忠知も嗣子なく没したため蒲生氏は改易。代わって伊勢桑名藩主・松平定行が転封となり、明治維新まで続いた。

歴代藩主

加藤氏

  1. 加藤嘉明:正木10万石から20万石に加増後、松山城を築城。会津42万石へ転封。

蒲生氏

  1. 蒲生忠知:会津60万石から24万石で転封。

久松松平家

  1. 松平定行:桑名11万石から15万石で転封。
  2. 松平定頼:定行の長男。
  3. 松平定長:定頼の次男。
  4. 松平定直:定行の弟・定房(伊予今治藩主)の孫。
  5. 松平定英:定直の三男。
  6. 松平定喬:定英の長男。
  7. 松平定功:定英の次男。
  8. 松平定静:定直の四男・定章(松山新田藩主)の長男。
  9. 松平定国徳川宗武(田安徳川家初代当主)の六男。
  10. 松平定則:定国の次男。
  11. 松平定通:定国の五男。
  12. 松平勝善島津斉宣(薩摩鹿児島藩主)の十一男、定頼の雲孫。
  13. 松平→久松勝成松平頼恕(讃岐高松藩主)の六男。1867(慶応3)年に久松へ復姓。

関連タグ

 伊予国 松山市 久松松平家 松山城

坂の上の雲司馬遼太郎の歴史小説。秋山好古秋山真之正岡子規の三人の伊予松山藩出身者が主人公。NHKでドラマ化された。

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