もしかして:備中松山城
概要
慶長7(1602)年、加藤嘉明によって築かれた五層天守を持つ連立式天守閣の城である。
天明4(1784)年に落雷によって焼失し、その再建は幕末の嘉永7(1854)年まで待たねばならなかった。
そのため現存する12天守のうち、最も新しい天守閣でもある。
明治維新後も本丸に残された建物群は残存していたが、放火や戦災で門や櫓が焼失するも、天守閣などは残って重要文化財に指定されている。
また焼失した建造物も順次復元されている。
平山城で天守のあるエリアは小高い丘になっており、麓からロープウェイとリフトが出ている。