加藤嘉明
かとうよしあき
賤ヶ岳の七本槍の1人であり、少年の頃より秀吉から将来を期待されていた。ちなみに七本槍の中で正則、清正、嘉明と、それ以外の4人とでは後の待遇が大きく異なる。
知勇兼備な人物であった。水軍の司令官としても有能であった。
藤堂高虎とは伊予時代から領地が隣り合いで、武功でも競い合うほど仲が悪かった。しかし互いの実力は認めていたようで、最終的に和解している。
父の代まで徳川(松平)家臣だったせいか、江戸時代になっても豊臣家のために奔走していた正則や清正、池田輝政らとは異なり、豊臣家に見切りをつけていた。
優秀だがとにかく地味でネットではその地味さがネタにされ「地味加藤」と呼ばれている。
永禄6年、三河国幡豆郡永良郷(現在の愛知県西尾市)に生まれる。幼名は孫六。
父・教明は松平(徳川)家康の家臣であったが三河一向一揆の際に家康に背き、三河を出奔し幼少の孫六ら一族と共に近江国に移り住んだ。
嘉明は才能を見出され、当時長浜城主となっていた秀吉に召し抱えられ、羽柴秀勝(織田信長の四男)の小姓として仕えることになった。
15歳のとき、嘉明は主君に無断で播磨攻めに参加した。これが初陣と見られる。中国地方に遠征する秀吉軍に従軍し、各地で武功を上げた。
小牧・長久手の戦い、四国攻めにも参加。嘉明はそれまで功績が認められ、淡路国の津名・三原郡1万5,000石に封じられて大名となり、志知城(志智城)主となった。
九州征伐や小田原征伐にも参加。朝鮮出兵では九鬼嘉隆と共に水軍の責任者を務めた。多大な軍功を上げた嘉明は秀吉から絶賛を受け、帰国すると加増されて10万石の大名になった。
関ヶ原の戦いでは東軍に付き、岐阜城攻略隊に参加。本戦でも前線で西軍首脳の一人である石田三成の隊と衝突した。戦後の論功行賞で伊予20万石の大名になる。
江戸時代になると嘉明は領地の整備に注力するようになり、堤防工事、松山城の築城、城下町の改造を行う。また、江戸城、名古屋城、駿府城の築城や修繕にも携わった。
大坂冬の陣が勃発すると豊臣恩顧であった嘉明は江戸で待機させられる。しかし大坂夏の陣には出陣し、戦場経験の浅い徳川秀忠をサポートした。
1619年、安芸広島城主であった福島正則が改易させられると、嘉明がその処理に当たった。
1627年、会津の蒲生忠郷(蒲生氏郷の孫)が没し蒲生氏が無嗣断絶すると、嘉明が会津藩へ移封されると同時に43万5500石に加増され、本拠を若松城(鶴ヶ城)に移した。
1631年、江戸で没した。
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第三章 女子高生、大坂城に構える
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