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概要

豊後国速見郡杵築城(大分県杵築市)を拠点とした藩。

歴史

元々旧名である木付は、関ヶ原の戦い前から細川忠興の領地の一つであったが、1632(寛永9)年に忠興の子・忠利肥後国熊本藩に転封され、木付には旗本であった小笠原忠知が大名取り立ての上で入封した。

1645(正保2)年、忠知は三河国吉田藩に転封され、同国高田藩から松平英親が入封した。

ちなみに「木付」が「杵築」になったのは、1712(正徳3)年に幕府より与えれた朱印状に「杵築」と書き間違えられていたのが原因。

その後明治維新まで能見松平家が続いた。

藩主

能見松平家 3万2千石

  1. 松平英親
  2. 松平重栄:英親の長男
  3. 松平重休:重栄の次男
  4. 松平親純新庄直詮(常陸麻生藩主)の十三男。重栄の外孫
  5. 松平親盈:親純の長男
  6. 松平親貞:親盈の長男

外部リンク

杵築藩 - Wikipedia

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