概要
かつての三菱のホットモデルであったギャランクーペFTOの名を継承した2ドアクーペで、GTOの弟分にあたる。
ミラージュ/ランサーと基本コンポーネンツを共用しており、駆動方式はFFとなっている。尚、モーターショーでは4WD仕様が参考出品されたが販売には至らなかった。
エンジンは2リッターDOHCのV型6気筒と1.8リッターOHCの直列4気筒を用意。2リッターのV6エンジンを搭載する国産車としては数少ない存在だった。
シルビアやセリカ、インテグラなどの他社同クラスの車種ではMTの販売比率が高かったが、FTOは広告などでシーケンシャルシフトによるマニュアル操作も可能としたATを中心とした販売戦略を採っており、当時のスペシャルティーカーには珍しく、MTよりもATの比率が高かった。
FF車ながら旋回性能が高く、また、当時の国産車の中でも比較的高いボディ剛性を確保しており、インテグラタイプRが登場するまでは国産FF車最速との呼び声も高かった。
2000年に生産終了。
車名は英語の「Fresh Touring Origination=若々しいツーリングカーの創造」、の造語である。
キャッチコピーは、『この運動神経は、ただ者じゃない』。
JGTC
1998年と1999年の2年間チーム・テイボン・ラリーアートから、テイボン・トランピオ・FTOとしてGT300クラスに登場。駆動方式は市販車と同じFFだが、エンジンはV型6気筒エンジンからランサーエボリューションに搭載されていた4G63エンジンにスワップされターボも装着されていた。ドライバーは1998年は中谷明彦と原貴彦、翌年には原に代わり後にF1ドライバーとなるラルフ・ファーマンが加入。また、企画と統括をラリーアートが、マシン製作をフォーミュラ・ニッポン(後のスーパーフォーミュラ)でも活躍したノバ・エンジニアリングが、エンジンメンテナンスをHKSが、エアロパーツの設計を市販のFTOをデザインしたデザイナーが担うなど、かなり豪華な体制での参戦だった。
ほとんどがFR車両の中でFF車両は不利と思われたが、このマシンのためにトーヨータイヤ・トランピオが専用開発したタイヤがポテンシャルを発揮し、98年の富士スピードウェイでの開幕戦でいきなり2位表彰台に入り、以降もポイントを重ね、年間ドライバーズランキング5位という好成績でシーズンを終える。翌99年も開幕戦で2位に入り、最終的なドライバーズランキングは6位だった。
僅か2年間という参戦期間だったが、FF+ターボという異色のパッケージングと、ホワイトとブルーの鮮烈なカラーで疾走する姿に魅せられたファンも多い。
余談
ギャランクーペFTOの車名はイタリア語の「Fresco Turismo Omologate=公認された新鮮なフィーリングを持つ車」の略だった。