1994年に始まった、グランドツーリングカーを用いた日本国内で開催されていたスポーツカーレースシリーズである。
2005年からはSuperGTという名称に変わり、引き続き開催されている。
概要
基本的には市販されているGT(グランドツーリング)カーを使用するレースであり、搭載するエンジンの馬力によってクラスが分けられている。後にSuperGTへと受け継がれる基礎は初年度からほぼ完成しており、決勝レースはクラス混合となる。成績によって付与される性能調整(ウェイトハンデ)も開幕時から本格的に取り入れており、「1強」を生み出さないための考えが取り入れられていた。
多種多様な車両、クラス混合による際どい駆け引きとレベルの高いレースにより日本屈指の人気を得ることになる。
歴史
1985年から開催されていた全日本ツーリングカー選手権(JTC・グループA)が93年に終了したため、当時「最強」と言われた日産・スカイラインGT-Rが活躍の場を失わないために新設されたと言われている。実は1993年も開催されているが参戦台数が余りにも少なすぎたため、1994年開幕が公式見解となっている。その後はJTCCが大コケしたことや、N1耐久からのステップアップ組に対する受け皿として人気を集めたこともあり、日本屈指の人気レースに成長した。
馬力によってクラスを区別するシステムは開催当初から存在し、500馬力ではGT1(〜95年)/GT500(96年〜)、300馬力ではGT2(〜95年)/GT300(96年〜)となっている。出走する車両はバラエティに富んでおり、GT1/GT500ではポルシェ・962Cやフェラーリ・F40、マクラーレンF1と言った「海外の列強」が、GT2/GT300では多くの国内メーカーやプライベーターが参戦した。
しかしながらレギュレーションの改定が頻繁に行われたため、規定への対応が難しい海外勢は次第に参戦が難しくなり、JGTC後期にはGT500はトヨタ、日産、ホンダの国産3大メーカーによる3すくみ状態となった。一方でGT300はバラエティを失うことなく、現在のSuperGTに至るまでその空気を残している。
2000年を境に、マレーシア等の海外のサーキットでレースを開催し、シリーズに組み込むことが決定した際、FIAによる国内選手権の規定に沿わなくなった事でJAF(日本自動車連盟)の管轄から外れ、株式会社GTアソシエイションが運営する「SuperGT」へと名前を改めた。
GT1/GT500
概要
エンジンの出力がおよそ500馬力の車両が属する。基本的にはトヨタ、日産、ホンダの国内三大メーカーがガチンコでぶつかり合うクラスであるが、年代によっては様々な海外産のスーパーカー達が参戦した。しかし前述の通り度重なるレギュレーションの改定やコスト高騰により、多くの海外勢は活躍の舞台をGT300に移している。
なお1994年の富士はグループA/グループB/グループCのマシンが混走するという、現在ではありえないであろう光景が見られた。
マシンの開発が進みすぎた事で市販車の部分が開発の邪魔になってしまい、かつてのグループAのようなコスト高騰の再来を危惧する声が出始めたため、2003年からは車両の前後をパイプフレーム化したりトランスミッションの場所やエンジンの向きを自由化するなど、シルエットタイプカーに近いマシンにする方向に規則が一新された。
参戦車両
1994年から2004年までの国内メーカーの参戦車両は以下のとおり。
2003年にV型8気筒の3UZ-FEに切り替わるまでは直列4気筒の3S-GTEを使用していた。
・BCNR33型スカイラインGT-R(1995〜1998)
・BNR34型スカイラインGT-R(1999〜2003)
2003年にV型6気筒のVQ30DETTに切り替わるまでRB26DETTを使用していた。
N2規定仕様をベースにムーンクラフトが改良した車両を投入。
・Z32型フェアレディZ(1994~1997)
95年まではチーム・ルマンが市販2シーターモデルをベースに独自開発した車両を、96年からはカニンガム・レーシングが2by2モデルをモチーフにパイプフレームでゼロから製作したIMSA-GTO仕様車を投入している。
・Z33型フェアレディZ(2004)
2004年にはGT-Rが販売終了した関係でフェアレディZが参戦した。
・(E/GH)NA1/2型NSX(1996〜2001)
・(LA)NA1/2型NSX(2002〜2004)
ホンダは他2社より少し遅く、96年にチーム国光がプライベーターとしてLM-GT2仕様を投入。翌97年から本格的にワークス参戦。ホンダ、無限、童夢のトリオで勝負を挑んだ。
2004年にはC30Aエンジンをベースにしたターボエンジンを投入したが、結果は散々だった。
GT1/GT500に参戦した海外メーカー車両は以下のとおり
・962C
・964型911 3.8RSR
・993型911 GT2
・F1 GTR ショートテール/ロングテール
・F40/F40 GT
・550マラネロ
・ディアブロ・イオタ/ディアブロGT-1/ディアブロJGT-1
・ムルシエラゴRG-1/ムルシエラゴR-GT
ミラージュ・レプリカズ
・RGS-ミラージュGT-1(カウンタックレプリカ)
クライスラー/ダッジ
・バイパーGTS-R
・カマロ(IMSA-GTO仕様)
1994年の第7戦にスポット参戦する予定だったが、直前でエントリーを撤回した。
・ラリー037(Gr.B仕様)
・CLK
ワークス開発ではなく、チューニングパーツメーカー・HKSが独自に組み上げた車両である。
・CLK-LM
1999年シーズンに参戦する予定だったが、車両調達の際にエントラントとAMGの間で折り合いが付かず参戦を撤回した。
ヴィーマック
・RD350R
・RD408R
GT2/GT300
概要
エンジンの出力がおよそ300馬力の車両が属する。「来る人拒まず」とも言える柔軟さにより、ワークス、プライベーターが分け隔て無く競い合う。JAFの特認によってガライヤ、紫電のように、(その時点では市販化は実現していなくても)市販化を目指していることを条件に参戦を許されるスポーツカーもあった。2002年から4ドアセダンの参戦も特認で許可された。
フェラーリ・F355ややポルシェ・911、日産・フェアレディZにホンダ・NSXといった大排気量スポーツカーはもちろん、エンジンの換装が可能なため日産・シルビアやトヨタ・MR2/MR-Sといった市販車では小排気量のマシンも多数参戦し、チャンピオンを獲得している。
中にはルノー・スピダー、マツダ・ロードスターや「ハチロク」ことトヨタ・スプリンタートレノ、さらには前輪駆動のトヨタ・セリカ(ST200系)や三菱・FTOといった意外な車両も参戦して好成績を残しており、GT2/GT300のバリエーションの広さが窺える。
参戦車両
(非常に数が多いため随時追加してください)
1998.05.03
JGTCを語る上で外せない話題といえば、1998年5月3日に行われた第2戦富士スピードウェイでの大事故だろう。
悪天候の中でのフォーメションラップ中にメインストレートで起きたこの事故は、当時のサーキットの運営方法等に大きな疑問を投げかけるきっかけとなった。
立ち上る水煙に視界を遮られ、前車の急ブレーキを避けた太田哲也選手の操るフェラーリ・F355は、その前に居たポルシェに対して直撃を避けるためスピンし側面から激突。その後炎上。
この時、真っ先に消火に駆けつけたのはコースオフィシャルではなく、後続で走っていたドライバーだった。
当時RE雨宮所属でFD3S・RX-7を操っていた山路慎一選手は、炎上するフェラーリから太田選手が脱出していない事を確認し、マシンを停車させて消火器片手に下車、消火作業の末、太田選手を救出した。
オフィシャルの対応の遅さが如実に現れていた事に対し、山路選手は関係車両に一発蹴りを入れるほどに激昂していた。
太田選手は全身の熱傷による重体で病院に緊急搬送され、辛うじて一命は取り留めた。この事故での後遺症によって選手生命は絶たれてしまうが、後に社会復帰も果たした。もし山路選手が駆け付けていなければ、太田選手の生命すらも危ぶまれていたかもしれない。
ビデオオプションの山路慎一選手追悼企画の動画の冒頭に、その時の模様が載っている。
以降も事故は頻発したが、これが一つの象徴的な出来事となり、サーキット専門の救急隊であるFRO(First Rescure Operation)の設立や、ドクターヘリの導入、HANS(頚椎を保護する装備)の推奨等、安全対策と安全意識の向上が図られることになる。
現在のSuperGTにおいても大事故は発生するが、上記の事件の教訓もあって、幸いな事に死亡事故は発生していない。2012年の富士スピードウェイ戦で事故を起こしたティム・ベルグマイスター選手は肋骨14本を骨折するも、FROが迅速に対応したことで後遺症もなくレースに復帰している。FRO他の安全対策の効果は着実に出ている。