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F1(マクラーレン)

まくらーれんえふわん

F1は、イギリスのスーパーカーメーカー「マクラーレン」がリリースした、当時世界最速を記録したスーパーカーである。
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記事が死ぬ程長いですがお付き合い下さい。





概要

本モデルの製造元であるマクラーレン・カーズ(現マクラーレン・オートモーティブは、当時フォーミュラ1(F1)で多くの勝利を収めたマクラーレンの技術を反映した高性能な市販車を製作するために1989年に設立された。市販車であるマクラーレン・F1は当初より世界最高のロードカーを目指して開発された。


車両中央に運転席が配置され、その背後の左右に1席ずつ助手席を持つ特徴的なセンターシートのレイアウトを採用している。乗降を容易にする為、斜め上方に開くディヘドラル・ドアも採用されている。車両のパフォーマンスを高める為に多くの部分に軽量化の為の設計がなされ、カーボンファイバー製のシャーシを採用して製造された初の市販車となった(今でこそカーボンファイバー製のシャーシを使った車はそこそこ存在するが当時としては斬新なものだった)。

生産台数は全てのバリエーションを合計して106台のみ。その内訳は、プロトタイプが5台、ノーマルモデルが64台、LMが6台、GTが3台、レーシングモデルのGTRが28台である。


なお、1995年、ル・マン24時間耐久レースにてF1 GTRが総合優勝という快挙を成し遂げた。


1998年にプロトタイプ車両を使用して行われたテスト走行では、最高速度391km/hを達成、2回の走行の最高速度を平均した386km/hが公式な最高速度記録として認定されている。




本気の設計・開発の過程

F1の開発構想は1988年9月11日に開始され、当時フォーミュラ1世界選手権で16戦15勝という驚異的な成績を収めていたマクラーレンのチームリーダーであるロン・デニスとデザイナーのゴードン・マレーなどが、そのシーズンで唯一勝利を逃したイタリアGPの帰りの空港で雑談を交わすうちに車両の発想が生まれたという。ただしその時点での計画は「世界最速で最良の市販車」という曖昧なものであった。


1990年1月、イギリスのサリー州ウォキングにあるマクラーレンの施設で原型となる計画が始動した。マレーは設計を進め、同年3月には基本要件が決定。設計にあたっては従来のスーパーカーの性能や特性を分析した後、フォーミュラ1で得られた技術や経験を基に、開発チームが軽量化やダウンフォースの向上など、あらゆる視点で車両の見直しを図った。マクラーレンの目標はコンパクトで軽量なオールラウンドに性能を発揮できる、純粋なドライバーズカーを作ることだった。また、最先端の技術、ディティール、品質なども重要視された。会社の設立やその準備、車両の開発の為にマレーが獲得した予算は850万ポンドで、決して潤沢とは言えない額であった。


エクステリアとインテリアを担当したのはデザイナーのピーター・スティーブンスである。ピーターはマクラーレン以前はロータス エランや同エスプリ、ジャガー XJR-15の設計に関わっており、その後F1の計画に参加した。ロータス・カーズからも数名が開発の為に移籍している。


運転席が中央にあるセンターシートのレイアウトはフォーミュラ1で得た経験を反映したものとされ、ドライバーの視覚的・動的な情報を即座に反映出来る様意図したものだった。マクラーレンによれば、マレーは1969年からこの1+2のシートレイアウトの研究を続けてきたという。運転席が中央にある為、フロントガラスには左右どちらにもバックミラーがついている。荷物を入れるトランクルームは、車体の両側の助手席とリアタイヤの中間のホイールベース内側に存在。良好なハンドリングと操縦性を追求し、エンジンやギアボックス、燃料、乗員、荷物など、すべての重量物を重心近くに集中させ重心高を低く抑えることで慣性モーメントを抑制する設計となっている。


市販車では世界初となるカーボンファイバー製のシャーシを採用している。車重は1000kgを切ることを目標とし、エンジン出力は最低でも550ps程度が求められた。カーボン製のブレーキディスクも開発していたが、公道での速度域や雨天時の低温状態で十分に作動させることが困難であった為、最終的にスチール製が採用された。軽量化の為、現代の車には当たり前の装備であるパワーステアリングはなく、ブレーキにもサーボ機構やABS等は装備されていない。なんとリスキー。


センターシートは構造的に乗降が難しくなる為、ルーフの大部分が開く構造が必要であった。採用されたディヘドラルドアはルーフだけでなく、足元部分のスペースも確保できるため乗降性の問題は解決した。開発時には、同様の機構を持つトヨタの変態車であるセラのドアを使い研究を行った。また、ピーター・スティーブンスはポルシェ 962の開発に関わっていたこともあり、高速時でも頑丈なドア構造を理解していた。


当初、マクラーレンはフォーミュラ1で提携しエンジン供給を受けていたホンダに対し、V型10気筒またはV型12気筒エンジンの設計・開発と供給を望んでいた。しかし、ホンダは将来のマーケティングの観点から、V型12気筒をはじめとしたオーバースペックなエンジンの製造は不適当と判断したためエンジンの供給を断った。いすゞ自動車は3.5L V12エンジンを提案したが、レースでの実績が無いためマレーに断られた。最終的に、かつてブラバムでマレーと付き合いがあり、BMWに所属しているポール・ロッシュがV型12気筒エンジンを手掛けた。


マレーはF1の乗り心地とハンドリングの設計基準として、ホンダ NSX(旧型)の名を上げている。NSXのサスペンションは乗り心地の良さと操縦性を両立させる為、ホイールの動きに自由度を持たせる縦型のコンプライアンス・ピボットを採用していた。マレーはこのサスペンションシステムから得たインスピレーションが、F1のサスペンションの開発に繋がったと語っている。また、F1もNSX同様に、当初から日常的に使用されることを想定し開発されていた。NSXの他にも、フェラーリ F40ランボルギーニ カウンタックBMW M1、ポルシェ 959、ブガッティ EB110など、世界の名だたる名車がF1のベンチマークとして上げられている。


トランスミッションはシンクロメッシュ機構を持つ6速マニュアルトランスミッション(MT)で、フォーミュラ1やル・マン、インディカーで勝利を収めているカリフォルニアのトラクション・プロダクツ社と共同開発した。当初は軽量化のためマグネシウム製のトランスミッションハウジングを装備していたが、オーバーヒートの問題の為最終的にアルミニウム製を使用した。ギア比のセッティングは、257km/hの加速用としたクロスレシオの1~5速と、クルージングや高速走行を考えたワイドレシオの6速の組み合わせとなっている(つまり、6速→5速へのシフトダウン時のヒールアンドトゥーを長めに行う必要がある。いわゆる「ギアが遠い」状態)。


空力性能の面では、車両後部に可変式のリアスポイラーを装備。このスポイラーは走行時には収納されているが、ブレーキング時に展開してエアブレーキとしても機能する他、ブレーキを冷却するためにエアインテーク内に空気を取り入れられる仕組みとなっている。F1はグラウンド・エフェクトを利用してダウンフォースを得る構造となっており、その効果を高める為にボディ下面を流れる境界層の気流を強制的に排気する電動ファンを備える。マレーは自身の設計した「ブラバム(イギリスに存在したレーシングチーム・コンストラクター。一度消滅したものの2013年に復活。) BT46」で、既にこの気流を強制排気する「ファンカー」と呼ばれる機構を採用していた。これらの空力の設計には、マクラーレンのフォーミュラー1マシンが開発される風洞と同じ施設が使われた。


電子制御システムは、マクラーレンの関連会社でフォーミュラ1の電気系統も担当するTAGエレクトロニック・システムズと共同で開発。制御システムはエンジンの使用状況をモニターし、温度変化、回転数、不十分な暖機運転時の高負荷などを記録し、メンテナンス時に不具合の特定をすることが出来る。その他にも車内にモデムを設置し、マクラーレンに情報を直接送ることで車の故障個所を特定し、サポートを受けることなどができる。この時代にここまでのアフターサービスは凄いと言わざるを得ない。


視認性を向上させるため、フロントやサイドのガラスには従来の温風を吹き付けるデフロスターではなく、電気で加熱するガラスを採用する事とした。この要求に応じる為サンゴバン社と協力し専門のチームが編成。開発されたラミネート加工のガラスは素早い霜取りや除氷だけでなく、熱の侵入を20%、紫外線の侵入を85%低減することが出来た。


専用の音響機器の開発を行うため、ケンウッドも当初から計画に参加している。

ケンウッドは当初音響システムの重量を約17kgと提案したが、マレーはその半分の重量しか容認出来ないとした。最終的に開発されたシステムの重量はその半分を若干上回るものの約8.5kgに抑え込んだ。開発テストでは、最大1.5Gの負荷がかかっている状態でもシステムは正常に機能した。


F1の搭載機器をテストするためのプロトタイプ車両として、イギリスのアルティマスポーツ社のキットカーであるアルティマ Mk3が2台購入された。この2台はシャシーナンバー12と13で、ノーブルモータースポーツ社により供給された。アルティマ Mk3はF1の設計重量を下回り、プロポーションが似ている為に採用されたものである。この2台はテストのため車体に大幅な改造が施された。シャシーナンバー12の車両にはマクラーレンにより「アルバート」というニックネームを与えられ、本来搭載するBMW製V12エンジンの代わりに、同様のトルクを有するシボレー製V8エンジンを使ってギアボックスのテストが行われた。この他にもセンターシートやカーボンブレーキのテストにも使用された。他方、シャシーナンバー13の車両には「エドワード」というニックネームが与えられ、BMW製V12エンジンのテストの他、エキゾーストや冷却システムのテストに使われた。なお、後にこの2台は機密保持のためマクラーレンによって破壊されている。この2台の他にもエンジンテストの為、BMW M5ワゴンにV12エンジンを搭載したプロトタイプも作られた。ここだけ聞くとアタオカである。


F1の本格的な試作車両としては、シャシーナンバーXP1からXP5の5台が製作され様々なテストを行った。そのうちXP1はナミビアでの猛暑環境のテスト中に事故で大破している。240 ㎞/hを超えるスピードで走行中に、車が側溝に衝突したことが原因であった。ドライバーは奇跡的に生還したが、XP1は漏れ出たエンジンオイルがエキゾーストマニホールドに引火し、焼失してしまった。 XP2は衝突試験用に製作され、XP1同様に大破し現存していない。プロトタイプと量産車にはデザイン上の違いがいくつかあり、フロントのフォグランプやウインカー、リアのシングルタイプのテールライトなどが異なっていた。量産車のテールライトはランボルギーニ ディアブロと同一の部品で、イタリアのコボ社が製造を担当した。


マクラーレンによると、新車を購入した後の通常のメンテナンス間隔は9ヶ月と18ヶ月であり、ダンパーは10年、燃料タンクは5年の交換時期が定められている。将来的に車両を維持し続ける為、マクラーレンによりマグネシウムコーティングやブレーキパッドの材質など、新たな技術を用いたパーツの開発も継続して行われている。ボディカラーやインテリアの装飾部品なども同様に、オーナーの好みに応じて新たなものに更新することが可能であるという。


1992年5月28日、モナコGPにおいてマグネシウムシルバーで塗装されたF1が初公開された。その後、生産第1号車がオーナーの元へ納車されたのは1994年12月のことで、製造は1998年まで続けられた。




メカニズム

エンジン

BMWのグループ会社であるBMWモータースポーツ社から供給された「S70/2型」と呼ばれるエンジンを搭載する。細かなパフォーマンス性能は下記の表を参照。ボア×ストロークは86mmx87mm、圧縮比10.5 : 1。アルミニウム合金製シリンダーブロックを備え、バルブハウジング、カムカバー、オイルポンプ等の部品は軽量なマグネシウム合金製。エンジン重量は付属機器を含めて約260kg、エンジンの全長は約60cm。エキゾーストはインコネル製。

エンジンルームはコックピットや機器の保護を目的に、放熱性の高い22金の金箔を使った耐熱フィルムで覆われている。金は入手可能な素材の中で最も軽く、最も効果的な断熱材である為採用された。エンジンルームだけで16gの金が使われている。


パワートレイン表

構造V12 NAエンジン(DOHC)
排気量6064cc
最高出力627ps/7400rpm
最大トルク66.3kg・m(=650Nm)/4000rpm~7000rpm
パワーウエイトレシオ1.81kg/ps
トランスミッション6速MT


シャーシ

市販車としては世界初となるカーボンファイバー製シャーシを採用。このシャーシはリヤフェンダーなどと一体成型されたセミモノコック構造で、前方にはクラッシュボックスを含む構成部品が配置され、衝突時の安全を確保。ほとんどの主要構造は、2重のアルミニウム製ハニカム構造のパネルで強化。これらの設計・開発はコンピュータープログラムを用いて行われ、素材の厚さや繊維の方向を最適化させている。この結果シャーシは非常に高いねじり剛性を有している。モノコックは縦方向の2本のフロアビームと横方向のバルクヘッドを合わせることで強度を向上。運転席の後部にはエンジンに空気を取り入れる為のエアインテークがあり、Aピラー、Bピラーと合わせて頑丈な生存空間をもたらしている。エンジンはストレスメンバーとしても機能し、2本の構造材を通してバルクヘッドに取り付けられている。エンジンマウントには振動やノイズを吸収するためのセミフレキシブルブッシュを採用。また、エギゾーストも事故時などに衝撃を吸収する構造となっている。全てのカーボン構造はマクラーレンが所有する施設で製作された。



サスペンション

サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン構造で、ホンダ NSXを参考に設計された。フロント側のサスペンションを接続するサブフレームは、コンプライアンスブッシュ通じてボディに取り付けられ、縦方向に大幅な柔軟さを有する。これは安定性と操縦性の両立を意図して設計された。リアサスペンションはロアアームがギアボックスに取り付けられ、そのギアボックスは弾性を持たせボディに取り付けられている。これにより、サスペンションにかかる負荷は剛性の高い車体へ伝わる構造となっている。

ダンパーはビルシュタインによってF1用に設計開発されたもので、レース用の製品が元となっている。このダンパーはアルミニウム製で放熱性を30%向上させている。



ブレーキ

装着されているブレーキはイタリアのブレンボ(Brembo)と協力して開発したもの。市販車としては初となるフォーミュラ1と同じタイプの一体鋳造のアルミニウム製4ピストンキャリパーと、ベンチレーテッドディスクを組み合わせている。ハンドブレーキ(サイドブレーキ)キャリパーもアルミニウム製でブレンボによって開発された。車を高速域から安全で効率的に減速させる為、ブレーキの冷却には新システムが導入された。このシステムはスピードセンサーとブレーキセンサーが電子制御され、十分な負荷がかかったブレーキング時のみブレーキ冷却用のエアインテークダクトが自動的に開く仕組みとなっている。ダクトが閉じている間は空気抵抗を減らすことが出来る。ABSやブレーキサーボは重量削減のため装備されていない。



タイヤ・ホイール

タイヤにはグッドイヤー(Good Year)による専用設計品が使われている。ハンドリングと操縦性の為開発初期の段階からタイヤは重要視されていた。グッドイヤーはレースにおいてマクラーレンと1968年からパートナーとなっていた。サイズはフロントが235/45ZR17、リアが315/40ZR17。トレッドパターンは非対称で回転方向が定められている。17インチというタイヤサイズは重量や接地面の形状を考慮して採用された。車両の軽量化の為スペアタイヤは備わっていないが、パンク修理キットは付属している。ホイールはOZ製でタイヤと同じく専用に開発されたもの。マグネシウム合金で鋳造されている。



インテリア

シートは前後に可動するが、ペダルとハンドルの位置は固定されており、購入者に合わせて個別に調節する必要がある。この調整作業は納車前にマクラーレンの工場で行われた。

メーターパネル中央には最大8200rpmまで刻まれたタコメーターが配置され、現在のF1カーと同じ様な、レブリミットの7500rpmで点滅しシフトアップを促すライトが組み込まれている。右側には240マイル(約386km/h)スケールの速度計が配置されている。左側には燃料計、水温計、油温計が配置されている。

運転席と助手席の間の仕切りにはCDプレイヤーと空調を操作するためのスイッチ類が配置されている。



付属品

F1には専用品の鞄が複数付属しており、サイズの違うスーツケース、書類ケースなどで構成されている。この鞄はF1のトランクルームのサイズに合う様に作られており、スペースを最大限利用出来る様になっている。また、シートやハンドル、付属の鞄などは購入者の好みに応じて色を変えることもできた。

付属工具はフランスのファコムによってF1専用に開発されたのものが付属している。軽量化の為チタン製となっており、スチール製の工具よりも50%軽量であった。

音響システムはケンウッドが専用に開発したもの。当時世界最小の10連装CDチェンジャーデッキがフロント部分に設置してある。車内には5つのスピーカーが設置されている。

F1の購入者には車内に収まる様に設計されたゴルフクラブのセットと、タグ・ホイヤー(TAG

Heuer)製のF1のロゴがついた腕時計が贈られた(当時タグ・ホイヤーはマクラーレンのフォーミュラ1のスポンサーであった)。




バリエーション

プロトタイプ

量産車両が製造される以前のプロトタイプ車両として、シャーシナンバーXP1からXP5の5台が作られ、様々なテストに用いられた。シャーシナンバーのXPは"eXperimental Prototype"(試験用プロトタイプ)を意味する。そのうち最初に作られたXP1はナミビアでのテスト中に事故で大破し現存していない。XP2は衝突試験用に作られ、実際に試験に用いられこちらも現存していない。現存する最古のF1であるXP3はゴードン・マレーに贈られ、彼が長らく所有していたが後年売却している。XP4はギアボックスの耐久テストに使用され、後にアメリカのコレクターに売却された。XP5は1998年に行われたテストで、量産車の最高速度記録を更新した。当個体はマクラーレンによって所有されている。



ノーマルモデル

1993年から1998年の間に合計で64台が製造された。

新車価格は1億円以上と高額だが、現在では更に高額なプレミア価格で取引されている。2021年、アメリカで行われたグッディング&カンパニー主催のオークションにシャーシナンバー029の個体が出品され、2046万5000ドル(約23億円)で落札された。この車両は新車時に日本にデリバリーされて以降、走行距離390kmというほぼ新車状態を保っており、唯一”クレイトンブラウン”と呼ばれるカラーリングを纏った個体である。

製造された車両の中には「ハイダウンフォースキット」と呼ばれるエアロパーツを装備した車両が8台存在する。ハイダウンフォースキットはフロントスプリッターや大型のリアウイングなどのパーツで構成され、後期生産車のメーカーオプションだった。また、後年になってマクラーレンによりキットを取り付けた車両も存在する。この内、シャーシナンバー018と073の2台のみ後述のLM仕様にアップグレードされている。その内容は680psまで強化されたエンジンとハイダウンフォースキット両方の装備などである。

2019年、アメリカで行われたサザビーズのオークションにこの2台のLM仕様車の内シャシーナンバー018の個体が出品され、1980万ドル(約21億円)で落札された。この個体は新車で日本に納車され、2000年から2001年の間に別のオーナーの元でLM仕様にアップグレードされていた。



LM

McLaren F1 LM

1995年のル・マン24時間レースでの優勝を記念して作られたモデル。車名のLMはル・マン(Le Mans)を意味する。エンジンがチューニングされ約680psまで出力が増している他、レースモデルであるGTR同様のフロントスプリッターやリアウイングなどのエアロパーツを装備している。重量は約1062kg。音響システムや防音設備は取り除かれ、車内にはドライバーと乗客の会話の為ヘッドホンが備えられている。サスペンションのブッシュはゴム製からアルミ製に変更している。

プロトタイプが1台(シャーシナンバーXP1 LM)と、市販用の5台(シャーシナンバーLM1からLM5)の合計6台が製造された。この6台のうち4台はパパイヤオレンジと呼ばれるカラーに塗装され、残り2台はル・マンで優勝したレーシングモデルに似たグレーのカラーリングが施されている。

プロトタイプはマクラーレン自身が所有し、市販用の5台はアメリカと日本に1台ずつ、そしてブルネイのスルタンに3台が納車された。



GT

1997年に後述のF1 GTRのレース出場の公認(ホモロゲーション)を得る為に作られたモデル。全長4928mm、全幅1940mm、全高1200mmで、通常モデルと比較して全長は60cm以上長く、全幅は10cm以上広くなっている。一方でエンジンやトランスミッションは通常モデルと同じものが使用されている。全長、特に車両後部が延長されているため、「ロングテール(Longtail)」とも呼ばれる。

1997年当時のFIA GT選手権でGT1クラスのホモロゲーションを得るには、少なくとも1台の公道走行可能な車両を製造・販売する必要があった。そこでマクラーレンは97年型のレーシングモデルの製造と並行して、ホモロゲーション取得用の市販車であるF1 GTを製造した。F1 GTは既に95年にホモロゲーションを取得していた通常モデルのバリエーション(variante option)として認証された。当初マクラーレンはホモロゲーション取得の為1台のみ車両を生産する予定だったが、顧客の要望に応える為、更に2台のF1 GTが製造された。

製造された3台のF1GTの内、シャーシナンバー56XPGTはプロトタイプでマクラーレンが所有している。2台製造された市販モデルは、シャシーナンバー54F1GTがブルネイへ納車され、シャシーナンバー58F1GTは日本へ納車された。




モータースポーツでの活躍

1993年にグループCカーによるレースカテゴリが消滅し、代わって高性能な市販スポーツカーを使ったGTカー規定が導入されると、一部のプライベーターによりマクラーレン・F1でGTレースに参戦したいという要望が上がった。1995年シーズンが近づくにつれその声は増え、レーシングドライバーのレイ・ベルム、レーシングドライバーであり銀行家のトーマス・ブシャーらがマクラーレンにアプローチした。しかしゴードン・マレーはF1をレース用として設計しておらず、信頼性、性能の点から当初はレース参戦に否定的であった。最終的にプライベーターの要望に応えることになり、マクラーレンはGT1レギュレーションに適合するレース仕様車であるF1 GTRを開発するに至った。マクラーレンの計画では5台を顧客に販売すれば開発費を取り戻せると計算された。元々F1はレーシングカーの技術を使った設計開発、素材の使用をしている為、レーシングカーそのものへ転用することはそこまで難しいものではなかったという。


1995年1月、マクレーレンによってF1 GTRが発表された。ロールケージや消火器などの安全装備の他、フロントスプリッターや大型のリアウイングなどのエアロパーツが装着され、ノーズとサイドにはエアインテークが追加されている。市販車では採用されていなかったあのカーボンブレーキも装備された。サスペンションのゴム製ブッシュはアルミ二ウム製の頑丈な部品に変更されている。通常モデルと比較してエンジンはレース用に改良が施されていたが、リストリクターによって出力は約600馬力まで制限されていた。軽量化が施されたことで重量は約1050kgまで抑えられた為、パワーウエイトレシオは通常モデルより高くなった。完成した車両はBPRグローバルGTシリーズやル・マン24時間レースに参戦するためカスタマーに提供された。一方で公道での乗り心地を重視した市販車が元となっている為、レースではモノコックの剛性不足の問題を抱えていたという。1995年には9台のF1 GTRが製作された。


1996年には前年型を改良したモデルが製作された。フロントスプリッターやリアウイングはさらに大型の物になり、修理時に素早く取り外しができるようボディワークも改良された。重心を下げる為エンジンの搭載位置が下げられ、より軽量化されたマグネシウム製のギアボックスのハウジングが採用された。1996年にも9台のF1 GTRが製造され、95年型の内2台が最新の仕様に更新された。


1996年、ポルシェ911 GT1でBPRグローバルGTシリーズやル・マンに参戦し、多くのレースでF1 GTRを破り勝利をもたらした。これに触発されたマクラーレンは、96年型のF1 GTRから更に空力性能を進化させた97年モデルの開発を決定した。

96年までのF1 GTRは前後のオーバーハングが短く、ダウンフォースが不足することが露呈していた。そこで97年型のF1 GTRは車両前後ともにボディが延長され、ダウンフォースを得ると共に空気抵抗を減らす設計になっていた。フェンダーやリアウィングも大型化されている。延長された車両後部のボディ形状から、97年型はF1 GTR「ロングテール」とも呼ばれている。

綜警McLaren GTR

エンジン排気量は長寿命化と信頼性の向上を目的として、6064㏄から5999ccまで下げられているが馬力の低下は無い。エキゾーストはそれまで中央に4本出しであったが、左右各2本出しに変更されている。トランスミッションは6速MTからエクストラック社と共同開発した6段シーケンシャルミッションを搭載している。ギアチェンジは車両によって、シフトレバーを押してギアが上がり引いてギアが下がるものと、その逆の押してギアが下がり引いてギアが上がる両パターンが存在する。車重は915kgと大幅に軽量化されている。1997年型F1 GTRは合計で10台が製造された。

ちなみに現代のシーケンシャルミッションは、引いてギアが上がり押してギアが下がるのが主流である。


97年型のF1 GTRは大幅に変更されたボディを持つため、新たにホモロゲーションを得る必要があった。その為には最低1台の市販車を製造する必要があるため、同じロングテールのボディ形状を持つF1 GTが製造された。97年型F1 GTRとF1 GTの製作は同時並行で行われた。

メルセデス・ベンツは1997年にCLK-GTR(ル・マンでひっくり返し遊ばせたあの型式の先代)でGT選手権へ参戦するにあたり、プライベートチームから96年型のF1 GTRを譲り受け、独自のボディパネルを取り付けてエアロパーツの開発を行っていた。

また、F1 GTRはレース用に開発されているが、後年になって公道走行が可能な仕様に作り替えられた車両も存在している。その際にはリストリクターの除去、触媒や助手席の追加などの改造が施された。



戦績

1995年

F1 GTRは、スポーツカー世界選手権に代わって設立されたBPRグローバルGTシリーズでレースデビューを果たした。そのBPRシリーズでは開幕から6連勝を果たし、特にニュルブルクリンクでのレース結果は1位から5位を独占してみせた。その後の2レースではポルシェとフェラーリに敗れたものの最後の4つのレースで優勝し、F1 GTRを使うドライバーとチームがチャンピオンシップを獲得した。


ダー様 × マクラーレンF1 GTR

6月17日から6月18日にかけて行われたル・マン24時間レースには7台ものF1 GTRが参戦した。その中で総合優勝を成し遂げたのはJ.J.レート/ヤニック・ダルマス/関谷正徳がドライブする国際開発レーシングチームの59号車であった。


当初マクラーレンはカテゴリの違うプロトタイプカーに対し優勝の可能性は低いと考えていた為、F1 GTRを使用するチームに多くのサポートはされなかった。それでも本番前にマニクール・サーキットでマシンの24時間テストを行いアップグレードパーツの開発を行っている。この本番前テストに使用されたシャーシナンバー01Rの個体はマクラーレンが所有するプロトタイプであったが、日本の医療機関である上野クリニックがスポンサーとなることでル・マンで走る予算が確保され、急遽国際開発レーシングチームとしてレースに出場することが決定された。車両が完成したのはレース本番の6週間前だったという。チームスタッフはマクラーレンの従業員が中心となった。ル・マン本番でF11 GTRは総合優勝を成し遂げただけでなく、全体の3位、4位、5位、13位もまたF1 GTRであった。



1996年

1996年のBPRグローバルGTシリーズでは、新たにポルシェ 911 GT1が参戦した。F1 GTRは911 GT1に数戦で敗れたものの、前年に引き続きドライバー、チーム共にチャンピオンシップを獲得した。ブリティッシュGTチャンピオンシップではGT1クラスのドライバーズチャンピオンを獲得している。一方でル・マン24時間レースでは、ポルシェ WSC95と2台の911 GT1の次ぐ総合4位に留まった。


ラーク・マクラーレンF1-GTR

全日本GT選手権(JGTC)では、郷和道によりフィリップモリスをスポンサーとして擁するチーム・ラーク・マクラーレン(後のチーム郷)が設立され、シャーシナンバー13Rと14Rの2台のF1 GTRを持ち込み参戦した。ドライバーは60号車が服部尚貴、ラルフ・シューマッハ、61号車は95年のBPRシリーズのタイトルを獲得したジョン・ニールセンとフォーミュラ1の経験もあるデビッド・ブラバム。2011年の郷和道へのインタビューによると、ドライバー候補としてマーティン・ブランドル、マーク・ブランデルの名も挙がっていた。車両メンテナンスはチームルマンが担当した。ブレーキはカーボン製からスチール製へ変更したため、度々ブレーキトラブルを引き起こした。レースでは他車と比較して圧倒的な性能を発揮し、2台で全戦でポールポジションとファステストラップを記録し、全6戦中4勝を挙げチャンピオンシップを獲得した。一方で第4戦富士の前に車両規則が改定され、これを不利と捉えたチームはGTアソシエイションを脱会していた。GTアソシエイションはレースの公平性やエンターテイメント性を重視していた為、マクラーレン1強となることを危惧し、1997年からは更なる馬力制限やバラストのハンデが課せられる可能性があった(いわゆる「追い出し」行為)。郷和道はこれに反発し、1996年のJGTCオールスターレース、そして1997年の参戦を辞退した。



1997年以降

1997年、前年までのBPRグローバルGTシリーズがFIA GT選手権に移行し、マクラーレンはF1 GTR「ロングテール」を投入した。しかし、メルセデス・ベンツがCLK-GTRで参戦し、F1 GTRを抑えチャンピオンを獲得した。F1 GTRはランキング2位と3位を獲得するに留まった。ル・マンでは前年に引き続きポルシェ WSC-95が総合優勝、F1 GTRはポルシェ 911 GT1を抑えクラス優勝、総合では2位と3位を獲得した。


1998年にはブリティッシュGTチャンピオンシップやイタリアのモンツァ1000kmレースなどで度々優勝を収めている。


全日本GT選手権では1999年にF1 GTR「ロングテール」が参戦、性能調整で思う様な結果は残せなかったが、2001年の参戦時には最終戦で1勝を挙げている。また、2005年のSUPER GTでは富士スピードウェイの2戦にスポット参戦しており、これがF1 GTRが国際的なモータースポーツに参戦した最後の事例だとされている。




後継モデル

Mclaren P1

2013年、マクラーレン・オートモーティブからマクラーレン P1が発表された。マクラーレンのホームページでは、P1をF1の「正当な後継マシン」と記載しているる。

また、2018年に発表されたマクラーレン スピードテール(Speedtail)はセンターシートによる3シーターレイアウトを採用しており、マクラーレンからはF1を想起させるレイアウトとアナウンスされている。

(確信犯だなこりゃ。)


マクラーレン・オートモーティブとは別に、ゴードン・マレーによって設立されたゴードン・マレー・オートモーティブ(GMA)から2020年にT.50が発表された。センターシート形状、車体下の空気を吸いだすファンなどを採用しており、マレーからはF1を主眼に置いて設計・開発されたことが語られている。




関連タグ

McLaren

P1(マクラーレン)→事実上のF1の後継



外部リンク

Wikipedia(JP)

F1 - McLaren公式

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