概要
開発を行ったASLは、自動車用品の量販店で知られる株式会社オートバックスセブンの100%子会社である。オートバックスの社内プロジェクトが、チューニングカーブランドのトミーカイラを買収して誕生した。
車名の由来は、中国・明の時代の盗賊で盗品を貧民に分け与えた「我来也」。日本で開発されたスポーツカーなので、漢字でも書ける車名にした。
エンブレムは南米を中心に生息する個性豊かなハチドリをモチーフとしている。
2001年末に代官山で初めて姿を現し、翌2002年の東京オートサロンで一般公開された。東京・北青山には一時期ガライヤ専用のショールームが設けられ、2002年より事前注文が開始された(予定価格650万円)。車両本体自体はほぼオーダーメイド状態で、それゆえにユーザーの細かい注文にも対応が可能であったという。
しかし開発の難航から発売されないまま年月が過ぎ、2005年の夏にはついに発売中止が決定。ホームページも消滅し、ガライヤが一般ユーザーの手に渡る事は無くなってしまった。
ただし試作された数台がナンバー登録され、幾つかのオートバックス店舗やSEVにデモカーとして、また湘南オートモビル・ビジネス専門学校には教材として置かれている。
2007年には大阪産業大学に1台が寄贈され、電気自動車に改造されて研究・開発に供されている。
なお同社はトミーカイラZZをベースにRS-01という車両も開発している。ガライヤとともに披露しているが、こちらもお蔵入りとなっている。
メカニズム
トミーカイラZZ同様、イギリスで生産される予定であった。試作はロータス・エリーゼなどの工場があるイギリス東部のノーウイッチで行われた。
その特徴的なボディはオールアルミ製で、ドアはガルウイング式ドア。自重は800kgまでの軽量化に成功している。
一方で破損時の整備性を考慮して、主要部品は日産のものを流用しており、テールランプもアルファロメオ・147のものを流用している。
日産・プリメーラやブルーバードに搭載されていたSR20VE(204PS)エンジンに、6速マニュアルトランスミッションをミッドシップレイアウトで搭載する予定であった。
レース活動
2003年、JGTC(全日本GT選手権)のGT300クラスに、オートバックスが支援する鈴木亜久里のプライベートチーム『ARTA』から参戦。ただしチームオペレーションとマシン開発はaprが請け負った。
この時のエンジンは、日産・シルビアのSR20DET(2リッター直4ターボ)を搭載していた。小型・軽量ゆえにコーナリング性能は高かったが、その分、エンジンパワーが不足していた。
翌2004年は同じ日産のVQ35DE(3.5リッターV6)に換装したことで、弱点のストレートスピード不足も解消し、抜きん出た戦闘力を得るに至った。しかし前年の終盤と同様、ライバルとの熾烈な競争を演じるも、結局チャンピオンとなることは出来なかった(M-TEC NSXに1点差で惜敗)。
シリーズ名が現在のSUPER GTに改称された2005年には亜久里監督の『シリーズチャンピオンになれなかったらチーム解散』という一言があったが、結局ランキング3位に終わってしまい、有限実行で参戦は終了。2006年・2007年の東京オートサロンではオートバックスのブースにARTAガライヤの展示はなかった。
しかし2007年、亜久里監督の「ARTA発足10年目の節目に復活させたい」という思いから、2005年と同じ布陣で再びGT300クラスに参戦することが決まった。そのため急遽フランスのオートバックス店舗にて展示されていた車両を日本へ戻し、現行レギュレーションに合わせた調整を実施するなどかなり慌しい参戦準備となった。1年のブランクがあったものの元々速いマシンがゆえに優れたパフォーマンスを見せ、第3戦富士で見事に優勝を果たした。
その後も規則改訂の節目となった2012年まで参戦し、毎年のように勝利を挙げたものの、どうしてもタイトルには手が届かなかった。累計成績は優勝7回、2位13回、3位5回、シリーズランキングは最高で2位(3回)。
市販車としては世に出ることのなかったガライヤだが、レーシングカーとしてはこのように華々しい活躍を長年してきたため、「ガライヤ=レーシングカー」という認識のほうが一般的には強いだろう。