曖昧さ回避
「魔法騎士レイアース」の登場人物
身長24cmの小さな妖精。
危ないところを助けてくれたランティスに一目惚れし、以後命の恩人たる彼と行動を共にしている。
少々嫉妬深い性格で、ランティスと近しくなっていく獅堂光に対抗心を燃やす。
「ゼノギアス」の登場人物
ジェシー・B・ブラックの娘でビリー・リー・ブラックの妹。
愛称は「プリム」。幼少時に母の死を目撃してしまったショックから失語症になってしまう。
顔が変わってしまった父親と距離を置く兄のビリーとは対照的に、ジェシーには懐いている。
概要
1977年~1989年に生産されたオースターの後継車種として1990年に登場。
ボディタイプはセダンをメインとしてステーションワゴン、5ドアハッチバックの3種類があり、FFとそれをベースにした4WD仕様の駆動方式であった。
車名は「第一級の、最高級の」という意味のスペイン語に由来し、サニー店で販売されていた兄弟車のプリメーラカミノの「カミノ]は「道」を意味するスペイン語である。
2代目までは中型サイズのセダンに属し、トヨタ・カリーナのライバルとしてしのぎを削っていたが、3代目でその性質を大きく変えた。
初代モデルは徹底的に欧州車を意識しており、ダイレクトな取り回しの良さと直進での走行安定性は評価が高かったが、その乗り心地の硬さに慣れていなかった日本では当初評判が概ね良くなかった。
初代 P10型系(1990年 - 1995年)
1990年2月日欧両市場に投入。
ボディタイプは日本国内では当初4ドアセダンのみで、SR18Di型またはSR20DE型エンジンに5速MTか4速ATの組み合わせである。
スタイリングと走行性能の両面で欧州車を強く意識して開発されていた。
901運動から生まれたフロントマルチリンクサスペンションによる操縦性の評価は特に高かった。
同年7月にはアメリカ市場での高級ブランドの名を冠した「インフィニティG20」として発売開始。
日産の高級車ということもあるのか、ABSやBOSEのステレオ、更には盗難防止システムも標準装備となっていた。
また欧州カー・オブ・ザ・イヤーでも日本車で初めて2位を獲得するなど、日本以外での評価も高かった。
欧州では当初から5ドアのハッチバックモデルも販売されており、日本でも英国・サンダーランド工場での現地生産車を輸入するカタチで1991年に登場した。
2代目 P11型系(1995年 - 2001年)
1995年9月P11型系にモデルチェンジ。
安全性能をはじめとする各部で大幅な改良が行われた。
日本で販売されるボディタイプはデビュー当初4ドアセダンのみであったが、1997年2月に英国生産の5ドアハッチバック(プリメーラUK)を日本で発売し、同年9月にはステーションワゴンも発売している。
フロントグリル等を変更したサニー店向け兄弟車「プリメーラカミノ」も同時に登場。
こちらはメッキ仕上げのグリルなどで日本市場に合わせた意匠となっている。
1999年にプリンス店とサニー店の販売車種統合を受けて生産販売を終了。
北米市場へは「インフィニティG20」の2代目としてカミノの顔つきをしたモデルが投入された。
欧州仕様の後期型は日本仕様とは全く違うデザインになっている。
3代目 P12型系(2001年 - 2008年)
2001年1月フルモデルにチェンジ。
全長と全幅を拡大し3ナンバーの専用ボディとなり、やや大ぶりなサイズとなった。
それでもボディデザインの評価がかなり高く、国内外の賞を多数獲得した。
デビュー直後の日本仕様車では、2500cc直噴と2000ccのQR型エンジンにそれぞれHyper CVTと4速ATが設定された。
同年秋に追加設定されたスポーティーグレードの「20V」は、先代モデルにも搭載されたVVT仕様のSR20VE型エンジンと6速マニュアルミッションが組み合わされた。
プリメーラの北米輸出版であったインフィニティ・G20については、その3代目Gシリーズ以降はスカイラインに切り替わっている。
2005年12月に日本国内での販売を終了。
直接的な後継車はないが、2代目ブルーバードシルフィ(3代目以降はシルフィに改称)がこのクラスを受け継いでいる。
2008年には欧州での販売を終了し、18年の歴史に幕を閉じた。
モータースポーツでの活躍
画像は初代JTCC仕様
初代、2代目が英国ツーリングカー選手権(BTCC)や全日本ツーリングカー選手権(JTCC)で活躍しており、2代目はBTCCでチャンピオンを獲得するほどであった。