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その他曖昧さ回避編集


セドリック・ディゴリー


セドリック・ライゼ・アルノール


こちらのリンクの「登場人物」を参照


概要編集

日産自動車が1960年から2004年まで生産・販売した高級車である。車名はフランシス・ホジソン・バーネットの小説『小公子』の主人公セドリックに由来し、当時の川又克二社長が命名した。


1966年にプリンス自動車を合併したため、プリンスの高級車だったグロリアとは3代目230型から兄弟車になり、ファンからは「セドグロ」の愛称で呼ばれた。年代により程度は異なるが、概してセドリックがフォーマルな高級車なのに対し、グロリアはややパーソナル寄りのスポーティなキャラクターで差別化が図られている。


トヨタクラウンと同じ車格・価格帯にあり、長年に渡って競合車種にあった。


歴代モデル編集

前史編集

さて、セドリックの成り立ちを語る上では、その前史についても触れておく必要がある。日産はトヨタと同じく、戦前から国産乗用車を製造する実績があった。しかしその特徴は真逆で、トヨタは高級セダンから始まり戦後も自社開発にこだわったのに対し、日産は小型乗用車から始まり戦後はBMC車とノックダウン生産の契約を結ぶことを選んだ。

日産のこの判断は堅実だった。日本の工業力が太平洋戦争の敗戦で技術水準を大きく後退させたのに対し、当時のイギリスの工業力は世界の頂点に立っており、「オースチン」は高品質の代名詞だったからである。トヨタ車やプリンス車が意あって力及ばずの品質だったのに対して、日産はBMCの設計センスや品質管理をノックダウン生産から愚直に学び、出来上がったオースチンA40"サマーセット"は遥かに優れた完成度を誇っていた。

1956年にはオースチンA50"ケンブリッジ"の完全国産化を達成し、以降は日本に適した独自の改良を加えて、更にダットサンセダンや初代ブルーバード開発への応用も通じて技術力を積み重ね、着実に歩を進めていく。これらを基礎として、1960年にセドリック誕生の日を迎えるのである。


初代30型(1960年~65年)編集

初代セドリック

1960年4月、オースチンA50"ケンブリッジ"の後継として発売。日産初の自社開発高級車である。

縦型ライトに曲面ガラスにテールフィンなどアメリカンな外観デザインが特徴だが、一方で技術面ではBMC由来のセンスがしっかり活きている。特にモノコックボディは日産初採用で、1990年代に入っても独立フレームシャシーを持ったクラウンとは対照的であった

初期型は全長4.4mで排気量1.5Lと今のラティオ並みにコンパクトだが、これは当時の小型車枠の上限に合わせたため。発売7ヶ月後にはその上限が拡大されたことから、全長を4.5mに伸ばしエンジンを1.9Lに拡大した「カスタム」が追加されている。

謹賀新年

1962年春にはワゴン/バンが追加、同年秋にはマイナーチェンジでヘッドライトが縦4灯から横4灯へ変更された。1964年には2.0Lディーゼルエンジンや3速ATの設定も追加されるなど、6年間のモデルライフで矢継ぎ早の改良が繰り返された。

特筆すべきは、1963年に追加された「セドリック・スペシャル」。全長を4.8m以上にストレッチして直6・2.8Lエンジンを搭載し、なんと国産車初の3ナンバー車になった1台である。後にプレジデントへ発展していったが、それはまた別の話。


2代目130型(1965年~71年)編集

日産セドリック(130型前期モデル)

1965年10月、発売。歴代セドリックの中でもやや異質の世代となった。

130型の開発にあたり、日産は一計を案じる。当時の日本車のデザインは高級車から軽自動車まで、アメリカン一辺倒の気があった。そこで、イタリアの名門カロッツェリアピニンファリーナ」にデザインを依頼し、流麗なヨーロピアンデザインのセダンが出来上がる。

30型譲りのモノコック構造ながら小型車枠を目いっぱい使い、最上級の「スペシャル6」にはメルセデス・ベンツを意識したとも言われる新開発の直6・SOHCエンジン「L20」を搭載。このときライバルのクラウンフォード風のデザインにGM風の技術とアメリカンな構成であり、正反対のコンセプトを掲げて真っ向勝負を仕掛けた。

しかし、日産の狙いは完全に裏目に出てしまう。当時の日本車が右も左もアメリカンだったということは、つまりアメリカンな派手さが売れる必須条件だったことを意味した。ピニンファリーナのヨーロピアンデザインは、日本では「中途半端に地味でなんか気持ち悪い」と受け取られてしまう。特に尻下がりなテールと小粒のテールランプの組み合わせは致命的であった

130 セドリック

テールランプの形は発売から1年で大きく改められ、更にその1年後にはオーソドックスな横長長方形のデザインとなった。しかしもはや小手先の改良でどうこうできる状況ではなく、1968年秋に大幅なマイナーチェンジを行い、次の230型にも通じるアメリカンなフラットデッキスタイルへと変貌していく。また1969年秋には、それまでL20と併存していた直6・OHVの「J20」がL20の改良型に統一する形で廃止され、商品力の強化を図った。

この130型には、他に特筆すべき事項がふたつある。まず、高級車ながら3ナンバー車の設定がなかったこと。上級をプレジデントに託して棲み分けたことが理由で、パトカー仕様にV8・4.0Lエンジンと後年のストックカーレース出走車に直6・OHVの3.0Lエンジンが搭載(換装)された例は存在するが、市販型に3ナンバー仕様がないのは歴代で唯一この130型のみである。

そしてもうひとつは、セドリックが一般家庭のマイカーとしても売り出していったこと。3代目クラウンが「白いクラウン」のキャッチコピーを掲げたことに対抗し、「パーソナル6」や「パーソナルDX」など個人でも買えるよう装備を厳選したグレードが追加され、カタログにはスポーティなオプションパーツで身を固めたパーソナル6の写真が掲載されている。それまではショーファードリブンかタクシーの二択だったものを、オーナードライバーも意識する大きな方向転換であった。


3代目230型(1971年~75年)編集

セドリック・2.0GL(230)セドリック・2.6GX(KHF230)

1971年2月、発売。グロリアと兄弟車になり、歴代で最も輝かしい経歴を有した世代である。

130型の反省からアメリカンを意識したコークボトルラインとしつつ、一方でフォーマルな需要にも配慮して、「ゆとりのセドリック」のキャッチコピーに相応しい、バランスのとれた曲線美を纏うスタイルに仕上がった。

従来のショーファードリブン需要には新たに「L26」エンジンを搭載したモデルで対応し、L20搭載モデルはオーナードライバーへの売り込みをより強めていった。L20をSUツインキャブで強化した「GX」のほか、1972年夏には国産乗用車初の「4ドアハードトップ」が登場。サイドウィンドウを全開にすればまさしく屋根をつけた4ドアオープンカーかのような開放感が味わえ、2ドアで先行したトヨタを4ドアで見返している。

ライバルのクラウン前衛的なデザインに挑んで不評を招いた敵失も重なり、販売台数は歴代で唯一クラウンよりも上回った

パーソナルユース向けの極めつけには「2ドアハードトップ2600GX」の存在が挙げられよう。その名の通り2ドアクーペのようなスタイルに、ヘッドライトはハードトップ専用の異形角目2灯で、エンジンはトルクフルなL26、トランスミッションは3速ATが選べるというもの。カタログではホワイトストライプ入りのメタリックカラーにレザートップやリヤスポイラーを装備した姿が掲載され、さながらグランドツーリングカーのようなひときわ贅沢な仕様であった。コークボトルラインのボディ後端から放たれる赤い3連ランプのシーケンシャル点滅は、実に妖艶で耽美的である

しかし1972年以降は法規適合や排ガス規制の開始が続き、リヤの赤ウィンカーやL20のSUツインキャブ仕様は順次姿を消していった。

230セドリック。

さて、230型というとやはり「大都会PART-III」や「西部警察」で活躍した話は外せない。しかし、カースタントでの破壊はその2作品に限らなかった。単純に「230型自体がよく売れた」ことに加え、当時「刑事ドラマカーアクションが流行したこと」「日産が車両提供に積極的だったこと」が重なった結果、230型は様々なドラマで破壊されたことがその真相であると、ここに付記しておきたい。


イメージキャラクターを歌手の菅原洋一が務めた、はずだったのだが、なぜかわずか1年で俳優の二谷英明に交代してしまった。しかも二谷はその後も長らくセドリックのイメージキャラクターを務める事になる。


4代目330型(1975年~79年)編集

セドリック330型警音??

1975年6月、発売。豪勢な外観とは裏腹に、技術面で苦しい戦いを強いられた世代である。

230型のデザインを基にしつつ、更にアメリカンでグラマラスなスタイルが特徴。前後の造形やサイドウィンドウの形状は、ひと目見れば忘れないインパクトがある。バリエーションは概ね230型から引き継ぎつつ、インテリアはより豪華な演出となった。

エンジンではL26に代わって排気量を2.8Lに拡大した「L28」が初登場。更に発売4ヶ月後には、EGI(電子制御インジェクション)を搭載した「L20E」も初登場している。また変わり種として、オイルショックの教訓から直4ディーゼルエンジンを搭載したモデルも一定の支持を得た。


さて冒頭の「苦しい戦い」とは、1973年から本格的に始まった排ガス規制への対策のことである。特に1975年の規制では、排気ガス中の有害物質を1970年比の10分の1以下に抑えなければならなかった。これをセドリックに当てはめると、「330型は130最終型と同じエンジンでも、その排ガス有害物質を90%以上削減せよ」という意味になる

どう考えても無理難題であった。しかし適合しなければそもそも発売すらできない。また新たなエンジンを開発する余裕もなく、なんとしてもL型やH型を規制適合させることが「技術の日産」に課された至上命題であった。

苦難の末に排気ガス浄化システム「NAPS」が開発され、搭載することとなる。しかし、排ガス浄化を優先した代償に動力性能は著しく悪化し、カタログでは性能維持を謳ったものの実用域でのパワーの低下は明白であった。このままでは商品力がない。エンジンの性能を上げられないなら、とにかく豪華さを演出する。330型のゴージャスなデザインは、そんな経緯から生み出された面もあった。

幸いにしてこの豪華路線は当たり、1977年夏のマイナーチェンジで更に強化され、メッキパーツが増えるとともに「L28E」搭載の最上級グレード「ブロアム」が誕生している。コンスタントな売れ行きを示して、同年秋には累計生産台数100万台を突破したのであった。

その間もエンジンの性能回復には絶え間なく取り組み、EGIやNAPSの実績を基に年次改良を重ねて、1978年の排ガス規制にも無事に適合している。一方この裏で、1976年夏の改良より前の初期型はNAPSが未成熟で不評だったことから、回収を進めて早々と解体に追いやったという。


5代目430型(1979年~83年)編集

430勇者セドリック

1979年6月、発売。来たる1980年代を見据えて新たな要素を取り入れた世代である。

330型までのアメリカンな曲線スタイルから一転して、直線的でクリーンな形にまとめられた。デザイン検討段階ではまだキャデラックのような案もあったが、1975年のいわゆる「ゴルフショック」も意識して130型以来のヨーロピアンなデザインを志向し、4ドアハードトップは特に端整で美しい姿に仕上がっている。

L型6気筒エンジンは既に旧弊化しつつあったものの、これに代わる新型エンジンの開発はまだ道半ばのため、改良を重ねながら続投となる。その代わりにとっておきの隠し玉があった。日本初の量産ターボエンジン、「L20ET」である。国産初ゆえにその性能は端的に言えばまだ稚拙で、2~3秒のターボラグのあと一気に加速力が増すという典型的な「ドッカンターボ」であったが、むしろそれが強烈な売りになった。当初は5速マニュアルミッションのみの設定だったが、上級グレードの「ターボブロアム」追加時にオートマチックも追加された。

ターボエンジンというとスポーツカー向けの印象があり、実際に運輸省もそんな車では暴走行為を助長するとなかなか認可を出さなかった。そこで日産はあえてセドグロに搭載し、オイルショックを背景に「2.8Lエンジンの性能を2.0Lで実現できる省エネ技術」との大義名分で認可を引っ張り出したのだ。ただしその後ブルーバードSSSスカイラインシルビアなどに搭載されてターボブームを招き、運輸省の懸念が当たるオチもついたが

L20ET以外にも新型エンジンが次々登場している。まずブロアム専用のL28Eには、NAPSから進化しコンピュータで総合制御する「ECCS」が初めて搭載された。タクシー向けの直4は、OHVのH20からSOHCのZ20へ刷新。更にディーゼルもL28をベースとした新型の「LD28」が登場し、直6・SOHCで91ps/17.3kgmというスペックは当時のディーゼルとして破格の性能を有した。

エンジン以外にもリヤサスペンションが長らく続いたリーフリジッドに別れを告げて5リンクコイルに置き換わり、2ドアハードトップレパードに独立して廃止されるなど、世相の変化を受けた変更点が数多くあった。


1980年以降はL型6気筒のエンジンブロック改設計やECCSの採用拡大、ATの4速化およびロックアップ装備などが順次進められ、1982年夏にL20ETがECCSと電子制御フルロックアップ4速ATを搭載したことでひとつの完成形に至っている。この頃になるとL型エンジンはECCSと三元触媒の熟成が進んで本来の性能をほぼ取り戻し、セドリックと共に歩んだ18年のフィナーレを迎えた。


6代目Y30型(1983年~87年/~99年)編集

セドリック・V30Eブロアム(PY30)

1983年6月、発売。いろいろと誤算が多かった世代である。

430型のキープコンセプトで、直線基調のデザインを維持。ただし430型が要所で330型由来の曲線も上手く取り入れたのに対し、Y30型は水平基調でクリーンさを突き詰め角張った形となった。

最大のトピックはエンジン。日産渾身の力作V6エンジン「VG型」が開発されたのであるアルファロメオを参考に国産乗用車初のV6エンジンとして生み出され、「新世代高出力エンジンPLASMA」や「Very Good エンジン」と銘打ち、コンパクトで高性能かつ最先端技術というイメージ戦略を前面に打ち出した。その後多くの日産車に搭載されるVQ型やVR型の基礎にもなった、エポックメイキングなエンジンである。

SOHC・3.0LのVG30Eを筆頭に、SOHC・2.0LターボのVG20ET搭載モデルを販売の主軸に据え、基本のVG20Eのほか、タクシー向けにはZ20に代わり「CA20」を用意。1984年夏にはフェアレディZに搭載された「VG30ET」が追加され、当時国内最強の230ps/34.0kgmを発揮している。

エンジンが大きく変わったことと規格改定でホイールベースを延長したことから、シャシーも手直しを受け、フロントサスペンションがダブルウィッシュボーンに代わりストラットとなった。


しかし、このY30型の売れ行きは芳しくなかった。原因は主にふたつある。ひとつは、単純にY30型のデザインが430型と似通ったもので代わり映えしなかったこと。そしてもうひとつは、フロントサスペンションの未熟な設計。せっかくVG型を搭載しても、それらで魅力を損ねてしまった。

日産自動車セドリック

1985年夏にマイナーチェンジを受け、ヘッドライト、グリル、バンパーをそれぞれ大きく拡大。ハイソカーブームに迎合した真っ白なハードトップを前面に推すとともに、ジェットターボ採用やサスペンション強化でイメージの回復に努めた。


ところがここでまたしても誤算に苦しめられることとなる。折しも日本はバブル景気が始まった頃で、ハイソカーブームの次は西ドイツ製の高級セダンが持て囃されてしまったBMWが「六本木カローラ」、ベンツが「赤坂サニー」と呼ばれる世相では、セドグロの分は悪かった。

【MMD】Y30セドリック バン

一方、悪い誤算ばかりでもなかった。ワゴンバンの存在である。

初代以来連綿と続くワゴン/バンだが、この頃には高級ワゴンよりも実用貨物車としての需要が多くなり、1987年以降もモデルチェンジすることなくこのY30型が継続販売される。そしてバブル崩壊後に到来したRVブームの陰で、Y30型のワゴンは「アメリカンな貫禄を持つ実用的ステーションワゴン」として、まさかのレジャー用途に密かな支持を得ていたのだ。とりわけベンチシート+コラムシフトの組み合わせは、そのクラシックさが唯一無二に近いものとして珍重された。

1999年夏、新型となったアベニール/エキスパートに立場を譲って生産終了。セダン/ハードトップの生産終了からは12年が経っていた。


7代目Y31型(1987年~91年)編集

日産セドリックハードトップ2000グランツーリスモSV(Y31)日産セドリック

1987年6月、発売。本気で造り込み、追い風にも恵まれた世代である。

開発にあたり、Y30型の誤算とBMWメルセデス・ベンツの分析から「ただ豪華でフワフワした車ではなく、上品でおしゃれかつ走りがしっかりした車」を目標に据えた。ちょうど901運動とも重なり、スポーティ路線を強化したのである。

ボディは直線と曲線を巧みに使い分けた、張りのあるモダンな姿となっている。そしてそれを存分に活かしたデザインの「グランツーリスモ」が初登場。大型エアロバンパーを装備し、長距離でも快適に走れるツーリングセダンとして、以降ブロアムと人気を二分することとなる。

エンジンはY30型に続いてVG型を基本とし、特にDOHC・セラミックターボ化された「VG20DET」搭載モデルはVG30ETに匹敵する185ps/22.0kgmを発揮、高い人気を得た。

エンジンに合わせてシャシーも再び大きな手直しを受けることとなり、リヤサスペンションがセミトレーリングアーム化、初の4輪独立懸架となってハイパワーなエンジンを支えた。

1989年夏のマイナーチェンジで、VG20DET搭載モデルは更に手が加えられた。インタークーラーで武装して210ps/27.0kgmにまで強化されたほか、ATが世界で初めて5速化されている。またターボブロアムはVG30搭載モデルと同じ大型のバンパーやモールを採用し、3ナンバー枠となった。


このY31型には、他に特筆すべきモデルがふたつ存在している。ひとつは「Lシリーズ」で、セダンのV30ブロアム系をベースにホイールベースを155mm延長したもの。いわばミニリムジンのようなモデルであった。

そしてもうひとつは「ロイヤルリムジン」で、オーテックの手によりホイールベースを600mmも延長したもの。太くなったBピラーには細窓が埋め込まれ、車内は本木目に本革シートを採用、更に贅の限りを尽くした豊富なオプションが用意されていたという。バブル期を象徴するプレミアムモデルであった。

ところでこのY31型、ハードトップは1991年に生産終了する一方、セダンはその後も生産が続けられることとなる。これがまた伝説を作っていくのだが、それは後ほど改めて記載する。


長らくイメージキャラクターを務めた二谷英明に代わり、教授タケオキクチ、鈴木エドワード(建築家)をイメージキャラクターに起用した。新しいセドリックは、いいね。


8代目Y32型(1991年~95年)

セドリック・V30グランツーリスモ アルティマ(PY32)Y32セドリック

1991年6月、発売。より本格的な高級車へ脱皮していった世代である。

Y31型に引き続き潤沢な開発費に恵まれて本気で造り込みドイツ車と張り合える性能の高級車に仕上げるにはタクシー向けの車体にあれこれ飾り立ててセンターピラーを省いただけの造りでは駄目との判断から、それまでの伝統を大きく変えたことが特筆される。

ボディはシーマの成功を受けてジャガーなどイギリス車を意識した格調高いスタイルとなり、ボディサイズを拡大して完全に3ナンバー枠となった。更に先述の理由からハードトップとしつつ、ピラーを残しサッシレスドアの形を採用している。グレードは正統派の「ブロアム/クラシック」系とスポーティな「グランツーリスモ」系に集約され、ヘッドライトの形状を前者は異形角目2灯、後者は丸目4灯と表情を分けている。また各種スイッチや電子機器は、最先端かつ高性能のものが隅々まで惜しみなく奢られた。

エンジンは車格の向上に合わせ、Y31型譲りながらVG30系が主軸となっている。一方、MTは廃止となった。

1993年夏のマイナーチェンジでは、セドリックがブロアム寄りに、グロリアがグランツーリスモ寄りになるフェイスリフトを受けており、ここからフォーマルな高級車のセドリックとパーソナル寄りのスポーティなグロリアという差別化が明確になった。

この時期、ライバルのクラウンまたしてもデザインで失敗したため、販売台数はクラウンに肉薄し上回ることもあったという。


9代目Y33型(1995年~99年)編集

1996 Nissan Cedric Brougham VIPNISSAN Cedric Gran Turismo

1995年6月、発売。高級車の更なる高みを目指すも、世相に恵まれなかった世代である。

Y32型の開発時から一転して、Y33型の開発では苦境に立たされていた。バブル経済がついに崩壊し、901運動パイクカー群への投資が大きな負債となって跳ね返っていた。そのうえ世は空前のRVブームを迎え、高級セダンが売れなくなってしまったのである。

限られた開発リソースを、Y33型ではシャシー性能と安全装備の向上に振り向けることとした。まずエンジンは、Y30型以来12年間改良を重ねてきたVG型に代わり、新世代たるアルミ製ブロックの「VQ型」を上級グレードに搭載。前年発売のA32型セフィーロにて初採用されたもので、熟成を進めての採用であった。また足回りでは、リヤサスペンションがY31型以来のセミトレーリングに別れを告げ、マルチリンクに置き換わっている。安全装備としては、ボディ剛性の向上に加えて前席デュアルエアバッグを標準装備した。

一方で、Y32型の特徴のひとつであった豪華装備の数々はことごとく廃止されてコストダウンを図っている。特にATが5速から4速へダウングレードしており、苦渋の決断とはいえ大きな痛手となった。ボディもよりアクがなく上品に仕立て上げられたものの、Y32型以前ほどの個性が薄く地味になってしまったことは否めない

1997年夏のマイナーチェンジでは、待望の4WD「アテーサE-TS」が登場。ところがこれのエンジンは、予想外のものが搭載された。「RB25DET」、つまり直6である。VQ型やVG型がアテーサE-TSと組み合わせられなかったことがその理由で、これまた開発リソースの厳しさが表れたものとはいえ、 14年ぶりの直6搭載モデルの復活は後年マニアから密かに注目されることとなる。


10代目Y34型(1999年~2004年)編集

2001 Nissan Cedric 300 VIPセドリック・300LV(HY34)

1999年6月、発売。21世紀のセドグロ像を示しながらも終焉を迎えた、悲運の世代である。

Y33型が地味かつコストダウンが目立ってしまった反省から、効率化を図りつつもセドグロの個性を重視した開発を行った。

ボディはイギリス調を脱し、ポルシェを意識したという滑らかかつ精悍なものとなっている。またY32型から示しつつあったキャラクター分けを進め、「1ブランド・1モデル」計画としてセドリックをブロアム系に、グロリアをグランツーリスモ系に統一。

動力性能も大きく手が加えられた。まずY33型で併存していたVG型を廃止し、VQ型のNAは直噴化。シャシーは「新世代LLクラスプラットフォーム」に全面刷新された。

そして特筆すべきはトランスミッション。世界初の量産トロイダル式CVT「エクストロイドCVT」を搭載したのである。当時のスチールベルト式CVTではまだ小型車が上限で、3.0Lクラスの高出力エンジンと組み合わせられたのは唯一無二であり、「技術の日産」の面目躍如だった。

また内装ではカーソル操作式の液晶モニターを標準装備して、エアコンやカーステレオの表示・操作を集約した。後にタッチパネル式に変わりつつ小型車や軽自動車にも普及していく画期的なインターフェースで、20年も先行していたことは特筆されよう。インパネの計器類をデジタルバーチャルビジョンメーターにするオプションも存在し、まさに21世紀の高級車像を提案した1台に仕上がった。


しかしそれらの性能も虚しく、セドグロの売り上げは下降の一途となる。バブル崩壊後に高級車を求めた層は保守化しており、Y34型の攻めの姿勢は受け容れられなかったのである。鳴り物入りで登場したエクストロイドCVTは4速ATより50万円も高く、クラウンの5速ATに対する優位性はなかった。更にクラウンが「アスリート」を復活させると、グランツーリスモの立場さえ奪われてしまった。

2001年冬のマイナーチェンジでバーチャルビジョンメーターが廃止され、グレードが整理されるとともに以降は特別仕様車に頼るばかりの状況を呈する。アテーサE-TS用のRB25DETが平成12年排ガス規制をクリアしたことは特筆されるが、世間一般には古びた旧型エンジンでしかなかった。

もはやセドリックもグロリアも、市場からは見放されていた。2004年春にターボ車ほか一部のグレードが先行して生産終了し、同年秋に残るグレードも生産を終え、一般向けとしては44年の歴史に終止符を打つ。新車登録台数約6.4万台という数字は、全盛期の4分の1未満であった。後継車種のフーガにバトンを引き継ぐも2代目Y51型にして見る影もなくなり、スカイラインに統合されて2022年で生産を終了。セドグロの系譜はここで完全に途絶えるのであった。


7代目Y31型(大改修後、1991年-2014年...?)編集

Y31 セドリック セダン

1991年6月、大規模マイナーチェンジ。真の伝説の始まりであるタクシーおよび一般保守層向けに特化する形で再構成されたが、ここではタクシー向けに絞って記述する。

ヘッドライト・テールライトの形が大きく変わり、ルーフの寸法を後方に拡大して、430型以来続いたCピラーのオペラウィンドウは廃止となった。グレードは上から「ブロアム」「クラシックSV」「クラシック」「スーパーカスタム」「カスタム」「オリジナル」。

エンジンは新型の直4・LPG「NA20P」を基本に、直6・LPGの「RB20P」や直6・ディーゼルの「RD28」を設定し、1993年6月にはV6・LPGの「VG20P」まで追加設定されるなど、豊富なエンジンラインナップが特徴であった。

1995年夏、再びマイナーチェンジ。フロントグリルとテールランプが変更され、基本形がここから変わらなくなる。ブロアムだけでなくクラシックSVにも3ナンバー枠が設定された。

1998年夏、一部改良。NA20Pがほんの少しだけ性能向上したほか、ブロアムとクラシックのインパネが新設計のものに変わった。

1999年夏、仕様変更。グロリアがY34型より一足早く生産を終えるも、セドリックは発売から12年にして衝突安全ボディに改修される。車種を統合しつつまだまだ販売を続けるという意思表示と言えたかもしれない。併せて、スーパーカスタムで外装をクラシックSV風にできる「Sパッケージ」が設定されたほか、RD28が電子制御燃料噴射とした「RD28E」に改良された。

2002年夏、グレード整理。「ブロアム」「クラシック」「RB20P」「VG20P」「RD28E」「ガソリンエンジン」「3ナンバー枠」がまとめて廃止になった。つまり、NA20P搭載で5ナンバー枠の「クラシックSV」 「スーパーカスタム」「カスタム」「オリジナル」だけになり、最終体制がここで確立している

2004年初頭、また仕様変更。ブロアムの廃止は流石にやり過ぎたようで、VG20Pを搭載して復活。ついでにドアミラーが選べるようになった。時代は変わったのである。

2005年秋、また一部改良。青系統の内装色をグレーに統一したほか、フロントとサイドのウィンカーがクリアレンズになりサイドは場所も移動、ハイマウントストップランプがLED化された。

2007年夏、再びグレード整理。VG20Pが排ガス規制に適合できなくなったため、ブロアムが再び廃止された。ただし5年前の反省でクラシックSVにブロアムの豪華装備を組み合わせた「クラシックSVプレミアム」が追加されて、ブロアムへの需要を賄っている。

2009年秋、実質マイナーチェンジ。発売から22年を超えるもしっかり改良の手が加えられ、あのシーラカンスと言われた初代デボネアの記録を抜いてしまった。歩行者衝突時の頭部衝撃を軽減する必要から、ボンネット周りが大改修されて厚みのある形状となっている。自動アイドリングストップを搭載したほかインパネが上級グレードのものに統一されたが、ここで「ベンチシート」「MT」「フェンダーミラー」の設定が消滅。かつてタクシーの必需品とされた装備の消滅は、時代の変化を如実に物語っている。

2010年秋、またしても一部改良。「NA20PE」と「電子制御ロックアップ付き4速AT」に改良されたほか、足回りが15インチホイールと低燃費タイヤの組み合わせに変更され、これが実質的な最終形態となる。性能は良くなったが維持費も高くなってしまい、「この世代だけは絶対に手を出さない」タクシー会社も少なくないという。

2012年夏、最後の仕様変更。シートの形状を変更し、シートベルトが後席中央も3点式になった。

2014年冬、表向きはここで販売を終了したことになっている。が・・・


終焉編集

セドリック・2.0オリジナル(QJY31)日産 セドリック(営業車)

日産からタクシー会社へセドリックの納車がようやく終わったのは、なんと2016年秋のこと。繰り返す。2016年である。販売終了から2年も経ち、発売からは29年も経っていた

末期には大多数のタクシー会社が「安作りだけど新しくて乗りやすいから」とクラウンコンフォートを選んだ中で、昔から日産と付き合いが深かったり「クラコンよりよっぽど見栄えがして客評判がいい」というごく一部のタクシー会社が、セドリックを支え続ける状況であった。

この「ごく一部」が、 2014年にセドリックの販売終了が発表されたとき、日産へ各社数十台~百台単位で大量のラストオーダーをかけた。別に日産への嫌がらせというわけではなく、数十年以上使い続けたセドリックを新車で手に入れる最後の機会と聞いて、ずっと隠れ続けていた需要が一気に表へ湧き出したのである。既に終了が決まっているので生産体制を広げるわけにもいかず、日産は2年間ひたすら細々と造り続けて応えた。ただ、いい話に聞こえるが日産からすれば「もっと前からそれぐらい買えよ」という話でもあるし、タクシー会社も実は消耗品の供給で日産から大ミスをやらかされるオチもついてしまった


日産が公式に後継としたのはNV200バネット。背が高くスライドドアでバリアフリー性能に優れるという売り込みだったが、どう見ても貨物バンに毛が生えた代物にしか見えないので全く売れず、2021年に廃止されてしまったトヨタもいつの間にかクラウンコンフォートに代わってJPN TAXIを発売したものの、やっぱり使い勝手や耐久性がそれらに遠く及ばないうえ高いので、思ったほど売れていないそうである。


日産  セドリック/Nissan Cedric

そういう状況ゆえ、セドリックは徐々に数を減らしつつあるが令和の今も街中を走り続けている。例えば東京周辺ではタクシー会社の経営統合やオリンピック特需もあって壊滅してしまったが、大阪周辺では老舗のタクシー会社が多くのセドリックをまだまだ現役で使い続けているのである


街中からまったく見かけなくなる日は、もう少し先のことになるだろう


関連項目編集

自動車 乗用車 セダン 高級車

日産自動車 プリンス自動車

グロリア(日産) プレジデント(日産)

シーマ(日産) フーガ


外部リンク編集

Y31型営業車カタログバックナンバー(日産自動車公式サイト内)


日産セドリックは日本が誇る名車!歴代全モデルを徹底解説&中古車情報を紹介(自動車情報サイトMOBY)

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