概要
『ウィザーディング・ワールド(魔法ワールド)』の人物。魔法使いの男性。
『ハリー・ポッターシリーズ』に、ハリー・ポッターの上級生のハッフルパフ生として登場。
三大魔法学校対抗試合でホグワーツ魔法魔術学校の代表選手(チャンピオン)として、ハリーと共に炎のゴブレットに選ばれる。
プロフィール
Name | Cedric Diggory
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誕生 | 1977年9月1日から10月31日の間 |
死去 | 1995年6月24日 (享年17歳) |
出身 | ホグワーツ魔法魔術学校 🟡ハッフルパフ寮 |
在学中の地位など |
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杖 |
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守護霊 | 有体守護霊を出せると思われるが形態は不明 |
映画版演者 | ロバート・パティンソン |
映画版吹替 | 日野聡 |
ゲームEA版CV | 野島健児 |
容姿
容姿について辛口評価であるハリーをしてハンサムと言わしめ、高身長であり、女子に「強そう」と評されている。
映画版では髪色がやや明るく、二次創作では映画の設定が反映されることが多い。
ちなみに「黒髪灰眼の高身長イケメン」という属性はシリウス・ブラックと共通している。
品行方正で監督生に選ばれたセドリックと高慢で優雅な佇いのシリウスでは雰囲気が異なっているため、セドリックはシリウスと系統が異なるタイプの美形だと考えられる。
黒髪灰眼でブラック家を連想しやすいが、シリウスの生家であるブラック家の家系図にディゴリー家との繋がりは見られない。
来歴
生い立ち
闇祓い及び闇祓い局を創設した魔法大臣エルドリッチ・ディゴリーを祖先に持つ魔法族の旧家、ディゴリー家に生まれる。純血であるかは不明。
魔法省の魔法生物規制管理部のエイモス・ディゴリーの一人息子。
生家はイングランド南西部のデヴォン州、オッタリー・セント・キャッチポール近くであり、近隣に暮らす魔法族にウィーズリー家やラブグッド家、フォーセット家などがいる。
学生時代
セドリックはホグワーツ魔法魔術学校のハッフルパフ寮に所属した。
ハリー・ポッターより2学年上。つまりグリフィンドールのフレッド・ウィーズリーやジョージ・ウィーズリー、アンジェリーナ・ジョンソン、アリシア・スピネットなどと同学年である。レイブンクローのロジャー・デイビースとも同学年の可能性がある。
セドリックは優秀で人望のある学生であり、監督生やハッフルパフクィディッチチームのキャプテン(ポジションはシーカー)を務めていた。
3巻で初登場。ハリーとクィディッチでシーカーとして対決した。吸魂鬼の影響で気を失い墜落したハリーに気付かず、スニッチをゲットしてハリーに勝利。セドリックはこれを不服とし、試合のやり直しを要求しているが受け入れられなかった。ハリーの公式戦での初の敗北である。
4巻の序盤、夏休みに父のエイモス、ハリーたち三人組及びウィーズリー家と共にクィディッチ・ワールドカップの観戦に向かう。
学校が始まると三大魔法学校対抗試合にエントリー、炎のゴブレットによりホグワーツの代表選手(チャンピオン)にハリーと同時に選ばれた。
グリフィンドール生以外がハリーを糾弾するムードの中、セドリックはハリーに対して特に悪感情を抱かず、友好的に接していた。
第一の課題でハリーから「ドラゴンと対決する」というネタバレをもらったお返しに、第二の課題では逆にハリーにヒントを与えた。
ユールボールでは後輩のレイブンクローの美少女、チョウ・チャンを誘って参加。同じくチョウが好きだったハリーは嫉妬の炎を燃やした。
第三の課題にてハリーと同着で迷路のゴールにある優勝杯に触れたが、優勝杯は「移動キー」に変えられており、共にヴォルデモートのもとに飛ばされた結果、ピーター・ペティグリューに「余計な者、邪魔な者」として殺害された。
直後のハリーとヴォルデモートとの決闘の際、兄弟杖が繋がり吐き出した魔法の記録として一時的にハリーの前に現れ、自分の亡骸を家族の元に持ち帰るよう依頼、ホグワーツに無言の帰宅を果たした。
目の前でのセドリックの死は、ハリーのトラウマの一つとなった。
ハリーは両親が死んだときはまだ赤子で明確な記憶はなく、クィリナス・クィレルが死んだ時は既に気を失っていたので、セドリックが初めて直視した「死」となった。これにより、ハリーはセストラルが視えるようになる。
人物
温和で思慮深い性格。寡黙だが非社交的ではなく、思いやりのある人柄から多くの友人や仲間に恵まれている。
監督生に任命されているようにハイスペックで、学校のマドンナであるチョウ・チャンを彼女に持つ。天は二物も三物も与えたものである。
ハッフルパフどころかスリザリンからも人望があったという完璧超人である。
(スリザリンはアンチハリーとしての対抗馬としてセドリックを応援していた側面もあるが。)
この出木杉くんな彼は実父のエイモスの自慢であり、セドリックの功績を皆に宣伝して回っている。セドリックは恥ずかしがっているが、自分を誇りに思ってくれる父を止められない可愛らしい一面も。
たまに「セドリックはグリフィンドールに行くべき」だと言う読者がおり、確かにそれに相応しい「勇猛・騎士道・大胆」な資質を持っていたのも事実ではある。
しかし、それよりもハッフルパフが重んじている「公正・勤勉・誠実」こそがセドリックの希望と相応しい資質で、実際に校長のアルバス・ダンブルドア曰く、「セドリックはハッフルパフの徳目を体現していた生徒だった」とまで評されている。
グリフィンドールとハッフルパフは勿論、スリザリンやレイブンクローであっても、そこに優劣関係は無く、単に違ったものを目標とした寮であるからして、比べるのはお門違いである。
なお全員から絶賛されている訳でもなく、フレッドとジョージからは「二つの言葉をつなげる頭もない(=だから無口なのだ)」と揶揄されていた。ただし映画版ではダンブルドアが彼の死について明かした際に他の生徒と共に悲しげな表情を浮かべており、本気で見下していたわけではなかったようである(出来過ぎな彼を妬む気持ちもあったのかも知れない)。
また、(アラスター・ムーディに変身した)バーテミウス・クラウチ・ジュニアに言わせれば、ちょっと頭が足りないらしい。
人の考え方がそれぞれである以上、どんなに非の打ち所の無い優れた人格者だとしても、不当かつ理不尽な理由で嫌われてしまう事は何処でもあり得る事なのだろう。
関連イラスト
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ホグワーツ監督生 ハッフルパフクィディッチチーム クィディッチキャプテンズ
『ハリー・ポッターと呪いの子』
ここから先は、重大なネタバレになります |
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衝撃の別の可能性 |
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『ハリー・ポッターシリーズ』の本編にて悲劇的な死を迎えてしまったセドリック。
しかし、実は彼もまた、ハリーやネビル・ロングボトムやドラコ・マルフォイと同じく、魔法界の運命を大きく左右する可能性を持っていた子供の一人であった事が、第8作である舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』にて明らかとなった。
アルバス・セブルス・ポッターは、父ハリーとエイモス・ディゴリーのやり取りで、「ハリーのせいでセドリックが死んだ」と思い込んだ結果、元々父に抱いていたコンプレックスも重なり、親友であるスコーピウス・ヒュペリオン・マルフォイと共に逆転時計を使ってセドリックの死の運命を変えようとする。
しかし、セドリックの死を回避する方法として、アルバスとスコーピウスは三大魔法学校対抗試合にてハリーとの同時優勝を防ぐ為にセドリックの妨害を行うという短絡的な手段に出た結果、セドリックは第二の課題にて「肥えらせ呪文」で太らされた挙句、湖の上で浮上させられるという仕打ちを受けてしまう事になった。
この結果、歴史はとんでもない方向へと捻じ曲がってしまう事になった……。
歴史的な大会の場で、両親どころかホグワーツや他の二校の生徒たちの前で笑い者にされてしまったセドリックは、「この状況において、全員ならともかく自分(セドリック)にのみ妨害を行うメリットがあるのはハリー・ポッターのみ」=「やはりハリーは目立ちたい一心で不正に手を染めていた」と誤解してしまう。
しかも、ハリーは約1年前(『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』)に、意地悪な親戚であるマージ・ダーズリーに実際に「肥えらせ呪文」で呪ったという「事実」があり、よりその疑いが強くなっていた。
ハリーに裏切られた上に人生最大の恥辱を味わされた事による復讐心と怒りから、セドリックは死喰い人に加入してしまう事になった。
つまり、セドリックは初のハッフルパフから排出された死喰い人という事になる。
そして、ホグワーツの戦いで、ネビル・ロングボトムを殺害。これにより、ネビルによる「グリフィンドールの剣」でのナギニの破壊も無かった事になってしまい、それによってハリーとヴォルデモートの決戦においても分霊箱の破壊が間に合わず、ハリーが死亡する顛末となってしまった。
アルバス・ダンブルドア亡き後、ヴォルデモートを倒せる唯一の好機であった予言は、「ヴォルデモートの勝利」という最も最悪な形で成就してしまう事になり、世界は闇の帝王による暗黒時代と化してしまった。
セドリックに関しては、「時の流れに逆らい、安易な形で誰かの定められた運命を変えてしまう事は、思わぬ形で悲劇を招いてしまう事」を嫌というほど証明する事になったと言える。
(「助け方が良くなかっただけなのでは?」という意見もあるが、セドリックの心情を考慮しながら安全に運命を変えるという高度な方法が未熟なアルバスやスコーピウスに思いつくはずもなく、そもそも軽率な歴史改変にリスクがあることには変わりないため、これを受けてアルバスたちは運命の改変を諦めることとなる。)
セドリックの堕落に関しても随分飛躍したように見えるが、これは「人間である以上闇に屈する可能性はゼロではなく、完璧を謳われるセドリック・ディゴリーですら例外ではない」「どれだけ優秀な人間でも失敗し見下され続けると病む」「挫折を知らないが故に挫折に弱い」という事実を示唆している。