概要
国内外問わず販売でブイブイ言わせているトヨタの代名詞的存在で、基本的なポジションは「ちょっと良い大衆車」である。日本以外にも中国・台湾・イギリス・ベルギー・メキシコ・インド・ブラジル・タイ・トルコなど各地で現地生産を行っており、往年の日本のような「国民車」的な扱いを受けている国も少なくない。西欧や米国のような先進国でも好評であるが、特に新興国ではトヨタならではの高品質・高信頼性が絶大な支持を受けているようだ。
基本的なコンセプトは「80点+α主義」思想に基づき、クラスを超える豪華装備と先進的なメカニズムをふんだんに投入するというもの。時代に応じた開発、生産、販売技術を投入し続けてきた結果、日本国内で1969年から2001年度までの33年連続で車名別登録車販売台数1位をキープし続けた実績を持つ。また世界累計販売台数でも1997年にVWビートルを抜いてギネス記録を更新しており、現在も世界車名別販売台数1位の常連である。
車好きからは「+α」の抜けたトヨタの「80点主義」の象徴として、英国の人気車番組トップ・ギアでは冷蔵庫(=白物家電)と間違われる冗談を言われるなど、退屈の代名詞でもあった。だが実際には古今東西モータースポーツでの採用例は多く、2020年現在も稀少となったMTを設定するなど、印象ほど退屈な車では無い。
2011年には、10代目の北米仕様車のマイナーチェンジ時のPVとして初音ミク(ワールドイズマイン)とのコラボが行われている。
車名
「花冠」を意味する英語のコローラ(Corolla)に由来する。花弁(花びら)の集合を意味する。クラウン(Crown=王冠)、カムリ(Camry=冠)、コロナ(Corona=太陽冠)などと由来および頭文字の「C」を揃えたネーミングである。
「カローラ一族」とその派生車たち
派生モデルや兄弟車が非常に多く、ボディタイプもセダンをはじめクーペやハッチバック、ステーションワゴン、ライトバン、クロスオーバーSUVなど非常に幅広い。5代目までは5ドアリフトバックもラインナップされていた。頭文字Dで知られるハチロク(AE86)も、実は5代目カローラのクーペ版である。また同じ「カローラ」と名乗るセダンでも、地域によって全く異なるプラットフォームで生産されている場合がある。
主な兄弟車を挙げると、
カローラセレス/スプリンターマリノ
カローラランクス/アレックス
カローラツーリング/カローラツーリングスポーツ/スズキ・スウェイス
カローラルミオン/サイオンxB
カローラスポーツ/オーリス(オーストラリアとニュージーランドでカローラとして販売された)
....という具合である。一番ボディバリエーションの多かったAE100系ではカローラ/スプリンターの各々にセダン、クーペ(レビン/トレノ)、ステーションワゴン/ライトバン、4ドアハードトップ(セレス/マリノ)、ハッチバック(カローラFX)と5タイプも用意されていた。
欧州ではライトチューンのコンプリートカーであるGR SPORT仕様、日本と米国ではGRカローラが、それぞれ販売されている。
歴史
高度経済成長期、やがて全国民に自動車が普及すると予測したトヨタは、最も台数が見込めるであろう「標準的な車」を作ることで、業界の覇権を握ろうと目論んだ。まずできたのがパブリカであったが、質実剛健さを追求した結果、内装は当時の軽自動車を下回る質素さとなってしまい、クルマに「便利さ」だけではなく「夢」を求める大衆には受けず、思ったほど売れなかった。そこで、逆に豪華装備や先進技術をふんだんに盛り込んだカローラが作られた。
マクファーソン・ストラット式の前輪独立懸架、後退灯、それまでトラック専用と思われていたフロア式マニュアルトランスミッションなどなどを日本車としては初めて搭載。ライバルであった日産自動車のダットサンサニーの排気量が1000ccであったのに対し、カローラは1100ccに設定し「プラス100ccの余裕」という有名なキャッチコピーで日産に対する優位性をアピール。サニーよりも2.2万円高い価格設定ながら飛ぶように売れてしまった。これに対し、日産もサニーをモデルチェンジした折には、排気量を1200ccにアップし、「隣りのクルマが小さく見えます」というコピーで対抗した。それぞれの車名のイニシャルを取って「CS戦争」と名付けられたこの販売競争は、終始トヨタがリードした。
もともと日本国内向けに開発されたカローラだったが、1968年から対米輸出を開始。初代クラウンの対米輸出が失敗した10年前とは打って変わり、その高品質・高信頼性から好評で迎えられた。のちには米国、オーストラリア、ブラジル、タイ、中国など世界各地で現地生産が行われている。
初代発売から20年以上はエンジン前置きの後輪駆動に前輪マクファーソンストラット+後輪車軸式のサスペンションという構成であったが、前輪駆動が流行し始めると「遅れている」と批判されるようになったため、1983年の5代目のE80型から当時最新とされていた前輪駆動と四輪独立懸架に移行した。なおこの代のクーペモデル・カローラレビン(およびスプリンタートレノ)だけは後輪駆動が守られていたため、6代目クーペが前輪駆動化されると分かると車好きたちからの注文が殺到した。この5代目の後輪駆動があのAE86である。
日本国内でのカローラの隆盛は、上級車種に迫る高品質と装備が好評を得た年間新車販売台数30万8台(1990年)を記録した6代目E90型でクライマックスを迎える。次のE100型は防錆鋼板の採用やフルラップ衝突対応のボディなどの先進技術を採用し、特にツーリングワゴンとバンは2002年まで生産されたこともあり、2010年代になってもよく見かけた。
長く国民車の座に君臨したカローラも、1995年の8代目 E110型で陰りを迎える。同車は全体に過剰品質であった先代の反省から大幅なコストダウンを図られ、カローラらしからぬ質素さから「分かりやすい豪華さ」「お値打ち感」を重視するユーザーからそっぽを向かれてしまったのである。そしてホンダ・フィットへ登録車販売台数第一位の座を明け渡し、黄金時代に終わりを告げた。もっとも同車の基本構造は先代同様であり、防錆鋼板の利用拡大など耐久性の向上をはかったことから同年代の他の乗用車に比べ生存率は高く、2020年代の今でも街角で見かける。
2000年に登場した9代目 E120/130型では豪華装備と先進技術満載のコンセプトへと回帰が図られるが、大衆のセダン離れもあり、カローラは国民車の座に返り咲くことはなかった。無印のカローラはこの代でいったん終わりを迎えた。
次の代からは日本向けセダンはE140型「カローラアクシオ」として先代のプラットフォームを引き継ぎ、海外向けカローラとはプラットフォームから異なる別物となった。2代目(シリーズ通算11代目)カローラアクシオのE160型はヴィッツのプラットフォームを採用し、ワゴンモデルのフィールダーの派生車種になってしまった。
2019年9月17日に販売開始された12代目 NRE210/ZRE212型は再びプラットフォームを海外仕様と統一。遂に小型車規格からの決別とミドルクラスへの移行に踏み切り、セダンとワゴンタイプでは初めて3ナンバー仕様となった。ただし可能な限りダウンサイジングが図られ、セダンとワゴンの国内仕様はプリウスよりも僅かに小さいサイズに納めている。
イメージキャラクター
竜雷太(初代)
マイク眞木、前田美波里(2代目)
ジェリー藤尾(3代目)
郷ひろみ(5代目)
永作博美→ドラガン・ストイコビッチ→篠原ともえ、ユースケ・サンタマリア(7代目のワゴン)
ピーター・フォーク→藤本義一(8代目)
北野武(9代目)
モータースポーツ
大衆車の代名詞だが、クーペ/セダンを問わず結構モータースポーツで活躍した車種でもある。
なにしろ初代からして販売開始から半年経つかどうかという段階でツーリングカーレースに参戦したほどである。また、1967年9月に開催された日本アルペンラリーのリザルトにもカローラの名前が確認出来る(こちらもどうぞ)。
2代目のクーペは発足当初の世界ラリー選手権(WRC)に参戦しているが、どちらかというとセリカのサポート役的存在だった。ただしトヨタのWRC初勝利は、このカローラだった。しかもDOHCエンジン搭載の、いわゆるレビンではなく、OHVエンジン搭載のいわゆるレビンJだったというから恐れ入る。
4代目のバリエーションのひとつであるハチロクことAE86型レビンは全日本ツーリングカー選手権でも活躍しており、1985年と1986年の各一戦で上位クラスのスカイラインを差し置いて優勝している。
又、1984年の富士フレッシュマンレースでは土屋圭市の駆るレビンがR30型スカイラインを追い抜いて2位で完走した事で当時のNISMOが不正を疑ってクレームを入れたエピソードがある。
さらに5代目の途中に追加された(初代)FXは、いわゆるグループAのカテゴリのレースで活躍しており、そのカテゴリが採用された全日本ツーリングカー選手権では、1度だけだが前輪駆動でありながら優勝したことがある。
8代目では欧州専売のハッチバックをベースにしたものがWRCに参戦し、1999年にスバルインプレッサ・三菱ランサーエボリューションを破ってマニュファクチャラーズチャンピオンとなっている。
10代目カローラアクシオはSUPER GTのGT300クラスに参戦してエヴァンゲリヲンとコラボした他、富士で優勝を飾っている。
12代目はハッチバックのカローラスポーツがBTCC(英国ツーリングカー選手権)やフォーミュラ・ドリフトのベース車両として採用され、優勝争いの常連となっている。
販売店について
発売にあたってはトヨタパブリカ店とトヨタディーゼル店で扱う事になったが、これはどちらも取り扱い車種(トヨタパブリカ店はパブリカ、トヨタディーゼル店は4トントラックや中型バス)が不振だったためである。いずれの店でも主力車種となり、トヨタパブリカ店はトヨタカローラ店に転換(ただし宮城県ではさらにトヨタオート店→ネッツディーラーに転換)、トヨタディーゼル店は一部はトヨタカローラ店に転換する事で生き残った(ただし別のトヨタカローラ店に吸収合併されたケースや、トヨタビスタ店→ネッツディーラーに再転換したケースも存在)。
なお2020年5月より実施されたトヨタ販売店の原則全車種併売化により、地域によってはカローラ店が廃止されている。
余談
ベネズエラにてかつて放送された現地向けの5代目カローラのTVCMが海外でネットミームになり、一時期、車好きの間で静かな話題となった。