概要
現在はトヨタ自動車の傘下である。
日本一かつ世界でも有数の高速サーキットととして知られ、数々の名勝負の舞台となった。
1960年代に高速道路網の整備計画が具体化されると「自動車の高速走行試験が出来る場所が無い」という問題が生じた。
当時、常設のクローズドコースとして多摩川スピードウェイと鈴鹿サーキットが存在したが、多摩川スピードウェイは河川敷にある為手狭過ぎ、また鈴鹿サーキットは当時バイク専業メーカーと見られていた本田技研工業が所有していた為「2輪専用ではないか?」と考えられていた。
そこで、4輪用の日本でもトップクラスの高速サーキットとして設計された経緯がある。
国際レーシングコース
かつては、長大なメインストレートと高速コーナーのみで構成された屈指の高速サーキットであった。
そのため、富士スピードウェイを舞台に闘うマシンはダウンフォースの確保よりも最高速度の向上を目的とした流麗なデザインの車体が多かった。
しかし、第一コーナー「30度バンク(バンク角30度の高速コーナー)」で事故が多発し、1974年にはこれを廃止して第一コーナーをヘアピンコーナーとした。
当時は、長大なホームストレートで加速し切った状態でアクセルを緩めずにそのまま第一コーナーに飛び込むという走法がセオリーだったと言われているが、30度バンクは開業から程なくして路面に凹凸ができたことに加えて全体的な設計の不良から走行ラインが1本に限られるなど、様々な不具合があったと言われている。
全開走行を行うには余りにも危険すぎるコーナーであった。
30度バンクを廃止してもなお高速サーキットとしての性格に変化はなく、高い速度で制御不能となったマシンが悲惨な事故を引き起こす状態が続いた。
そのため、数度に渡ってコースレイアウトの改修を施して平均速度の抑制を行った。
現在ではコーナーが増え、全体的にテクニカルな特性へと変化したが、依然としてコース全体の1/3を占める全長1.5km近い長大なホームストレートは残されている。このため、スリップストリームを用いての1コーナーでのブレーキング勝負が最大のオーバーテイクポイントとなっており、ここで多くのドラマが演じられている。
一方で最高速の出るストレート→緩やかな下りの高速コーナー→低速コーナーのきつい勾配の上りという感じで、ハイスピードセクションとテクニカルセクションがハッキリと分かれているため、「トップスピードを取るか、それともコーナーでの安定性を取るか?」というエンジニア達にとって難しい選択が迫られるコースとなっている。
耐久レース
富士スピードウェイの開業翌年・1967年に24時間耐久レースが開催された。(この時の参戦台数33台に対し完走は20台。)
しかし68年を最後に24時間耐久は開催されなくなってしまう。
その後は80年代当時の世界耐久選手権や2010年代WECの6時間レース、全日本GT選手権の500kmなど、距離や走行時間こそ長めに取られるレースが多かったものの、24時間に達するものはなかった。
そして最後に24時間耐久が開催されてから半世紀が過ぎた2018年。
前年まで10時間レースで開催されていたスーパー耐久シリーズの富士ラウンドにおいて、スーパー耐久としては十勝24時間レースから10年ぶりとなる24時間レースが設定されるようになると、首都圏から近い立地も相俟って他カテゴリのレースファンからも注目度の高いラウンドへと昇華していく。
参戦チームにとっても開催時間が延びたことでシリーズポイントの獲得量が劇的に増え、富士の結果がシリーズタイトル争いに直結することから、たとえドアを激しく損傷しようが、フロントタイヤが脱輪するほどの損傷を受けようが、エンジンから出火しようがリペアエリア(という名の駐車エリア)に車両を運び込んで車両を修復してコースに送り出す光景が毎年のように見られるのも富士ラウンドの風物詩となっている。
コース解説
・ホームストレート
全長1.5km、コースの3分の1を占める国内最長のストレート。コースレイアウトの変更が相次いだ富士においてほぼ唯一の開業当初から変わらない部分であり、スリップストリームを用いた第一コーナーに向けた駆け引きは名物となっている。
距離が長く、接近しやすい分事故も多く、1997年にはフォーミュラカーレースで死亡事故が、2022年もSuperGT第二戦でCraftsports Zがクラッシュしている。
・第一コーナー
現在はTGR(Toyota Gazoo Racing)コーナーと称されている。トップスピードからのフルブレーキングが必要なヘアピンコーナーであり、このコース最大の抜き所であることから接触も多い。
・コカ・コーラコーナー
ブレーキをどれだけ少なく出来るかでタイムに影響するチャレンジングな左コーナー。名前の通りコカ・コーラがスポンサーについている。
・100R
セッティング次第でアクセル開度が変わる高速右コーナー。
・ADVANコーナー
通称ヘアピン
・300R
基本的にどの車種でも全開の右コーナー。
・ダンロップシケイン
第一コーナーに次ぐオーバーテイクポイント。ここから第三セクターの登りセクションが始まる。
・GRスープラコーナー
旧名レクサスコーナー。低速の左コーナー。
・最終コーナー
現在でもドライバーによって攻め方が変わると言われるコーナー。ホームストレートに向けて立ち上がりを重視したい。
廃止危機
今でこそ日本国内を代表するサーキットとして重宝されているが、1979年から1986年頃まではサーキットを廃止しレジャーランドにするという計画かま挙がっていた。
この様な流れになったのは当時のサーキット観客の素行の悪さ(所謂グラチャン族)などが問題視され「モータースポーツは暴走行為を助長する」等の意見が一部から挙がっていた事が理由とされる。
しかし、各所の関係者からの大規模な反対運動の末に計画は白紙に。
現在に至る。
別名・表記ゆれ
- FSW
- FISCO - 旧略称、運営会社の富士スピードウェイ株式会社の英語表記である「Fuji International Speedway Co.Ltd」から取られており、現在でも一部で併用されている。グラチャン(富士グランチャンピオンレース)を知る世代ならこちらの方が耳馴染が高いかも? 日産自動車から発売されたシルビア(S12型)にも同名のグレードが存在していた。
関連項目
太田哲也…彼が巻き込まれた1998年の全日本GT選手権第2戦での多重事故が起こったのが富士スピードウェイ
オーバーテイク!…本作において、実名で富士スピードウェイが登場する。その関係もあって、地元の静岡でも放送された。
バリバリ伝説…当サーキットの廃止議論がされていた1980年代当時、各方面からの反対意見に加担する形で同作の扉絵で主人公巨摩郡と作者が読者に「みんなで反対しようっ!!」「FISCOなくなると困るぜっ!!」、「そーだぜ」「なんとかしろ!!」と呼び掛けていた。